LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

東京ダイナマイト

東京ダイナマイト(とうきょうダイナマイト)は、日本のお笑いコンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1990年代中頃に、ハチミツ二郎(ハチミツじろう)と曽根卍(そねまんじ)で結成。2001年に、二代目としてハチミツ二郎が松田大輔(まつだ だいすけ)と再結成した。コントもするが、主に松田のシュールなボケにハチミツがクールなツッコミを入れる形式の漫才をする。ハチミツ二郎が21歳の頃、パチンコ店で店員をしていた曽根卍(そねまんじ)と知り合い、初代「東京ダイナマイト」を結成。新宿ラ・ママのオーディションで初舞台を踏む。1997年10月、浅草キッド主催のライブ、浅草お兄さん会で優勝。その後も浅草お兄さん会と大川興業主催のライブ「すっとこどっこい」にレギュラー出演。しかし、ハチミツが社長を務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の低迷期に初代は解散した。新しい相方を探していたハチミツが、元「温泉こんにゃくアクロバットショー」の松田と知り合い、松田が以前より「(ハチミツと)コンビを組みたい」と考えていたことから意気投合。「トンパチプロ」の解散宣言と同時にコンビ結成を発表し、2001年、新生「東京ダイナマイト」がスタートした。それに伴いマネージメントがオフィス北野預かりとなり、これと前後して浅草キッドと師弟関係を結んだ。結成3年目の2004年、M-1グランプリで決勝に進出(後述)し、全国区の知名度を獲得した。以後ゴールデンタイムのお笑い番組などにも出演して活躍を続け、当時の事務所の大先輩であり大師匠(師匠の師匠)に当たるビートたけしからは「ようやくウチから商品になる奴が出てきた」と高い評価を受けていた。2004年12月から不定期で『東京ダイナマイト先生』というトークライブを新宿ロフトプラスワンで行っており、毎回スペシャルゲストが来ている。2007年11月20日の「東京ダイナマイト先生vol.15 ハチミツ二郎お誕生日おめでとう記念大会〜」で15回目を迎えた。2008年1月30日に16回目を、同年3月27日に17回目をそれぞれ開催。一時、ハチミツがブログで「飽きたから辞めた」と書いていたが、17回目から1年後の2009年3月26日には「復活」と称し、18回目「東京ダイナマイト先生vol.18 〜もっと東京ダイナマイト先生〜」を開催している。2008年6月20日をもってハチミツがオフィス北野を退社した(退社の理由はビートたけしがオレたちひょうきん族で遅刻した際に言った『お化けが出た』と同じ言い訳をした事と、その後会社で話し合いが持たれ、『今後M-1グランプリで吉本勢に勝つには劇場で場数を踏む事が必要』と熱弁したら『だったら吉本でもどこでも好きな所行ってください』と言われた事などが重なったためという)。松田は広告契約の関係からすぐには退社できないが、2009年3月に退社することとなった。2008年9月5日にオスカープロモーションとマネジメント契約をした事を発表したが、2009年3月15日付でそのオスカーからも退社。松田も3月をもってオフィス北野を退社した。オスカー退社の理由は「M-1グランプリで4年連続準決勝敗退に終わったことが相当悔しかった」ため「武者修行の旅に出たい」とのことで、オスカー側も「温かく見守ってあげたいと思います」と円満退社である旨コメントしている。2009年4月からは、そろってフリーとなる。また、同年より、よしもと浅草花月を中心に、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの直営館への出演が増えており、なんばグランド花月にもゲスト出演を続けていた。同年8月24日の公式ブログにて、よしもとクリエイティブ・エージェンシーへ所属する事を発表した。ただしビートたけしは「吉本に行ったら新人扱いになっちゃうから、ハチミツ二郎は店をやったりいろんなことやってるからいいけど相方がかわいそう」とこの移籍には否定的な見解を示している。結成8年目となる2009年のM-1グランプリで5年ぶりの決勝進出を果たす。M-1グランプリに初出場後、事務所を移籍した芸人が出場した初のコンビであった。2011年、THE MANZAI 2011認定漫才師に選ばれる。予選22位でワイルドカード決定戦に進出。2012年のTHE MANZAIは2回戦で敗退するが、翌2013年には認定漫才師に返り咲き、予選3位の成績で決勝進出。第4回M-1グランプリで出演9組中、唯一ノーシードで決勝へ進んだ。結果は8位だったが、これを機会に全国的に名が知られることとなり、以後お笑い番組などへの出演が激増した。しかしこの時審査員を務めていた春風亭小朝は、ネタ後の講評で東京ダイナマイトのファンであると前置きした上で、「もっと面白いネタがあるのになぜこのネタをやったのか」と苦言を呈した(この時やったのは『タクシー』のネタ)。また、同じく審査員の中田カウスは、ビートたけしから「あいつら優勝させて賞金を俺とあんちゃんで分けようぜ」と持ちかけられた事を暴露した(ただしこれは仲の良い両者の間で交わされた軽口であり、カウスは公平に審査を行った)。因みにこの時決勝で披露した「タクシー」のネタは2003年4月25日放送の爆笑オンエアバトルでも披露していたが、結果145KBでオフエアになってしまい、ここでも満足の行く結果は残せていなかった。その後オンバトには何回か出場を重ね2005年5月7日にようやく初オンエアを達成(この時披露したネタはコント『床屋』で計量は449KB)したが、それ以降は出場しておらず事実上最後の出場となっている。第5回大会は、決勝進出を見越して100万円の衣装を制作していたが、準決勝敗退。敗者復活枠からも漏れ、出演は叶わなかった。後日ハチミツは自身のブログで「敗者復活戦の結果には満足していない」とコメントした。この翌日ラジオ番組で敗者復活の勝者である千鳥と一緒にラジオ番組に出演した際、千鳥に次ぐ2位であったと自称している。第6回、第7回、第8回大会も準決勝で敗退し、4年連続の準決勝敗退となった。第8回大会の敗者復活戦もオードリーに次ぐ2位だったと自称しているが、第5回大会ともに公式のアナウンスのものではないことは留保する必要があり、どちらも事実は違うとも言われている。第9回大会には5大会ぶりの決勝進出を果たし、「格闘技の勝利者インタビュー」のネタを披露。結果は6位だった。5年ぶりの開催となった第11回大会は準決勝で敗退となった。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。