


ポキプシー () は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。艦名はニューヨーク州ポキプシーに因む。ポキプシーは1943年6月3日にウィスコンシン州スペリオルのウォルター・バトラー造船で起工した。4月15日まではPG-134と呼ばれた。1943年8月12日にフランク・M・ドラン夫人によって命名、進水、海軍に移管され1944年9月6日に艦長Q・M・グリーリー沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。バミューダでの整調後、ポキプシーは10月29日から1945年1月31日までフィラデルフィア海軍造船所で信頼性試験を行った。2月から3月にかけてキューバのグアンタナモ湾へ船団護衛を行い、3月後半にはニューロンドンの沖合で対潜水艦戦訓練を行った。その後も7月3日まで東海岸沿い、ニューヨークからバージニア州ノーフォークの間で対潜哨戒および船団護衛任務に従事した。7月9日にニューヨーク湾から出航したポキプシーはパナマ運河を通過し、太平洋艦隊司令官に任務の報告を行った。その後、ワシントン州シアトルでソ連海軍への貸与の準備を行った。ポキプシーは1945年10月2日にレンドリース法に基づきソ連海軍に貸与され、EK-27()として任務に就く。ソ連での活動後、ポキプシーは1949年10月31日に横須賀でアメリカ海軍に返還された。ポキプシーは予備役状態のまま横須賀で保管され、1951年3月23日に天候監視艦の候補に選定される。1953年1月14日に日米船舶貸借協定の下、警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、もみ (PF-4) として就役し、同日付で新編された第1船隊に編入された。「もみ」は1953年8月16日に新編された第2船隊群に司令警備船として編入された。1957年9月1日、PF-284に艦籍番号が変更され、1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日付で貸与から供与へと変更された。1965年4月1日に退役しYAC-13(保管船)に区分変更され、1970年3月31日に除籍、1971年7月12日にアメリカ海軍に返還された。その後、大韓民国で同型艦の予備部品として解体使用された。
出典:wikipedia
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