


カーソンシティ (") は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。艦名はネバダ州カーソンシティに因む。カーソンシティは海事委任契約の下1943年9月28日にカリフォルニア州ウィルミントンのコンソリデーテッド・スチール社で起工した。4月15日まではPG-150と称した。1943年11月13日にC・B・オースティン夫人によって命名、進水、1944年3月24日に艦長H・B・ロバーツ沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。カーソンシティは1944年7月19日にロサンゼルスを出航し、エスピリトゥサント島とミルン湾に向かう。8月13日に到着し第7艦隊に所属、ニューギニアで哨戒および護衛任務に従事する。9月16日にはモロタイ島への上陸作戦に参加し、続いてレイテ島上陸部隊の補給・輸送船団を護衛した。10月16日にフンボルト湾を出航しレイテ湾に向かい、北部攻撃部隊の支援を行う。10月22日、カーソンシティは上陸地点への支援に向かい、翌日は補給を終えた船団を護衛してフンボルト湾に向かった。カーソンシティはニューギニアで船団護衛任務を再開、ワクデ島、ビアク島、ヌムフォル島、サンサポア岬、モロタイ島、ミオス・ウォンディで活動し、1944年11月26日にオーバーホールのため真珠湾に向かう。その後アラスカン・シー・フロンティアでの任務を命じられ、1945年1月12日にダッチハーバーに到着した。カーソンシティは8月29日にレンドリース法に基づき、アラスカ州コールド・ベイでソ連海軍に貸与された。ソ連ではEK-20(ロシア語:)の艦名で太平洋艦隊に9月5日付けで配備された。1949年10月31日には横須賀でアメリカ海軍に返還され、同地で保管された。1953年4月30日に日米船舶貸借協定の下、警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、さくら (PF-10) として就役した。海上自衛隊では、第1護衛隊群第1護衛隊に所属し、1957年9月1日、PF-290へ艦籍番号が変更、1966年3月31日、YAC-16(保管船)に区分変更、1977年3月31日に除籍、同年8月6日にアメリカ海軍に返還された。カーソンシティは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。
出典:wikipedia
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