グラフトン公(グラフトンこう、Duke of Grafton)は、イギリスの公爵位。イングランド貴族。イングランド王チャールズ2世の私生児ヘンリー・フィッツロイが1675年にイングランド貴族として叙されたのに始まる。初代グラフトン公爵に叙されるヘンリー・フィッツロイは、チャールズ2世とその愛人バーバラ・ヴィリアーズ(後の初代クリーヴランド女公爵バーバラ・パーマー。第2代ウィリアム・ヴィリアーズの娘)の間の3人の非嫡出男子のうちの次男である。非嫡出子なので王位継承権はなかったが、母バーバラは息子3人に高位の爵位を確保しようと宮廷工作に躍起になった。その結果、ヘンリーには1672年8月16日にサフォーク州における初代ユーストン伯爵とサフォーク州における初代イプスウィッチ子爵とサフォーク州におけるサドバリーの初代サドバリー男爵、ついで1675年9月11日にグラフトン公爵の爵位が与えられた。これがグラフトン公爵家の創始となる彼の兄はサウサンプトン公爵(またバーバラから第2代クリーヴランド公爵位を継承)、弟ジョージ・フィッツロイはノーサンバーランド公爵位を与えられている。しかしこの2人の家系は嗣子に恵まれず廃絶しており、現代まで残ったのはグラフトン公爵家だけであった。初代公は、初代ヘンリー・ベネットの1人娘(女子相続人)と結婚した。アーリントン伯位は特別継承権の規定で男子なき場合に姉妹間の優劣のない女系継承が可能であったため、ヘンリー・ベネットの死後イザベラが継承した。初代公とイザベラは一人息子のチャールズ・フィッツロイを儲け、このチャールズは1690年に初代公がアイルランドで戦死した際に2代グラフトン公となり、ついで1723年のイザベラの死によりアーリントン伯位、セットフォード子爵位、アーリントン男爵位の3爵位も継承した2代公の死後、次男の息子オーガスタス・フィッツロイが3代公を継承した。彼は1768年から1770年にかけて首相を務めたことで知られる。その後は目立った当主は出ていないが、9代公は、レーシング事故で死亡するという劇的な最期を遂げている。彼の死去に際して女系継承が可能なアーリントン伯、セットフォード伯、アーリントン男爵の3爵位は彼の姉2人の間で優劣を決められず停止(abeyance)となっている。10代公の代は貴族没落の時代であり、グラフトン公爵家も税金・相続税攻勢で所有地を多く失った。サフォークにある本邸の維持費も捻出できなくなり、維持費削減のため3分の2を取り壊している。11代公の夫人は、1967年以降エリザベス2世の(女王の女官の最高位)を務めている。現在の当主は先代の孫の12代グラフトン公爵である。現当主12代グラフトン公は以下の爵位を保有している。
出典:wikipedia
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