ボーンキング ("Born King") は日本中央競馬会に所属していた元競走馬で、現在は種牡馬となっている馬。1998年の当歳セレクトセールにおいて1億4000万円で落札された。半兄にフサイチコンコルド、半姉にグレースアドマイヤ、半弟にアンライバルドがいる。馬名は「生まれながらの王」という意味である。3歳(現2歳)時の2000年12月2日に阪神競馬場で行われた新馬戦がデビュー戦となり、オリビエ・ペリエが騎乗して1番人気に支持されたが、3番人気のアグネスタキオンに敗れて5着だった。続く12月24日の新馬戦ではミルコ・デムーロが騎乗して、前走で先着を許したロジータの仔であるリブロードキャストに次ぐ2番人気だったが、レースを制して初勝利を挙げた。現表記の3歳となった2001年の初戦は、デビット・ハリソンが騎乗して格上挑戦で京成杯に出走し、3番人気でレースを制して重賞初挑戦で初勝利を挙げた。なおデビット・ハリソンにとっても中央競馬での重賞初勝利となった。続く弥生賞では鞍上に武豊を迎え、デビュー戦で敗れているアグネスタキオンに次ぐ2番人気に支持されたが、レースではアグネスタキオンに5馬身差をつけられての2着だった。そしてクラシック初戦の皐月賞は柴田善臣が騎乗して4番人気となったが16着、京都新聞杯5着を挟み出走した東京優駿では4着となり、レース後は休養に入った。秋はセントライト記念からの始動が予定されていたが、8月に函館競馬場での調教中に左後球節炎を発症してノーザンファームで療養することになった。復帰戦は4歳となった2002年のアメリカジョッキークラブカップとなり、6番人気で3着に入った。続く京都記念ではひさびさに武豊が騎乗して1番人気に支持されたが7着という結果に終わった。その後の阪神大賞典は5着、天皇賞(春)ではマンハッタンカフェ・ジャングルポケット・ナリタトップロードの三強に続く4着と堅実な走りを見せた。その後ノーザンファームへ放牧に出された。脚部不安などアクシデントに見舞われ長期休養が続き、2005年5月ごろにようやく帰厩した。そして3年2か月ぶりの実戦復帰となったエプソムカップでは、長期休養明けにもかかわらず13番人気で5着に入った。次走は中1週で宝塚記念に出走したが10着だった。なお、8月3日付で馬主登録が金子真人から金子真人ホールディングス株式会社に変更となっている。秋は朝日チャレンジカップから始動して7番人気で4着に入ったものの、その後3走は大敗して同年12月22日付で競走馬登録を抹消され競走馬を引退した。2006年よりブリーダーズ・スタリオン・ステーションで繋養され、初年度は65頭に種付けを行った。2008年4月8日にHBA軽種馬農協門別種馬場へ移動したが、日本国内での供用はこの年限りとなった。イタリアへの輸出は契約が頓挫し、フランスで種牡馬入りした。
出典:wikipedia
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