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筑摩型防護巡洋艦

筑摩型防護巡洋艦(ちくまがたぼうごじゅんようかん)は日本海軍の防護巡洋艦。本型は1907年(明治40年)度計画により3隻の建造が承認され、1912年(明治45年)5月から7月にかけて3隻が建造された。本型は1番艦「筑摩」は佐世保海軍工廠で建造され、2番艦「矢矧」は三菱長崎、3番艦「平戸」は川崎造船所とそれぞれ民間造船所で建造、後者2隻は民間造船所で建造された初めての巡洋艦となった。通常の防護巡洋艦は舷側に装甲を持っておらず舷側部の石炭庫が防御を成すが、本型は軽巡洋艦への移行の過渡期の設計で舷側の一部に87mmの防御装甲を貼っていた。本型の船体形状は平甲板型船体となっており、艦首形状は前型の利根と同じクリッパー型艦首を備えるが排水量は5,000トン台となり大型化された。艦尾はクルーザースタンとし、船体のL/B比が約10と当時としては非常に細長い船型を採用していた。艦の構造を前部から記述すると、全くシア(反り返り)の無い艦首甲板上に主砲の「15.2cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基が配置され、その後方に司令塔を下部に組み込んだ操舵艦橋の両脇に船橋が設けられた。見張り所を持つ単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ4本煙突が立つ。その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷4組で計8組により運用された。左右の舷側甲板上に15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつが配置された。後部甲板上に簡素な後部マストと後部見張所が設けられ、後向きに15.2cm速射砲が1基の計8基が配置された。本型の主砲はアームストロング社製「15.2cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は重量45.4kgの砲弾を最大仰角18度では射程14,800 mまで届かせられた。単装砲架の俯仰能力は仰角18度・俯角5度である、旋回角度は300度の広い旋回角度を持つ。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は人力を必要とした。発射速度は毎分5発である。副砲として「8cm(40口径)速射砲」を単装砲架で4基を艦上に搭載した。他に対艦攻撃用に45cm魚雷発射管を単装で3基を搭載した。竣工後の1919年に対空火器として「三年式 8cm(40口径)高角砲」を2番・3番煙突の間に単装砲架で片舷1基ずつ計2基を搭載した。ボイラーは国産のイ号艦本式缶で燃料は石炭と重油を使用する混焼缶形式で、本型の第1の特徴は大型缶に加熱機が付いた新型となっていた事である。これに小型缶4基が組み合わされ、ボイラー数の増加に伴って初の4本煙突艦となった。そして第2の特徴として推進機関に蒸気タービンを採用したことである。性能比較のために筑摩と平戸にはブラウン・カーチス式衝動型直結タービン2基で2軸推進であったが、矢矧のみパーソンズ式で異なり、反動型の高速タービン1基と低速タービン1基を並列配置で1組として2組4軸推進と異なる構成とした。これにより最大出力22,500馬力で最大速力26.0ノットを発揮できた。公試成績は筑摩は26.83ノット、平戸は26.87ノットで僅差だが矢矧のみ27.14ノットで27ノット越えを達成した。第一次世界大戦には3隻とも参戦しドイツ帝国領ドイツ領ニューギニア攻略作戦等に参加した。開戦時に筑摩・矢矧の2隻は第4戦隊所属であったが、ドイツ東洋艦隊による通商破壊を防ぐために1916年より第三特務艦隊としてオーストラリアシドニーに派遣されたが、わずか半年後に護衛任務を解かれ、第一特務艦隊となりインド洋の通商保護作戦に従事した。平戸は南シナ海警備にあたり、1916年3月から12月にかけてシンガポール基地から南太平洋方面の作戦に従事した。第一次世界大戦後は1921年(大正10年)から筑摩が中国大陸へ進出し警備に当たった。残る2隻も大正末から中国方面へ進出、昭和7年から平戸が上海事変時に華北警備、昭和8年に満州事変時に熱河作戦の支援として旅順港で任務に就いた。矢矧も昭和10年(1935年)代まで同地で警備に従事した。筑摩は1931年(昭和6年)に除籍、1935年(昭和10年)頃に実験艦として撃沈処分、残る2隻も1940年(昭和15年)に除籍、太平洋戦争中は練習艦として使用され、戦後に解体された。

出典:wikipedia

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