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川戸貞吉

川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年 - )は、演芸評論家。代表的な名跡は都家西北。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業。アナウンサー・ジャーナリストの川戸惠子は妻。1961年4月、東京放送(現:TBS)に7期生アナウンサーとして入社。1993年3月、TBSを退職。早稲田大学で落語研究会に入会。その時代に、同世代だった柳家小ゑん(後の7代目立川談志)、三遊亭全生(後の5代目三遊亭圓楽)、林家照蔵(後の5代目春風亭柳朝)、古今亭朝太(後の3代目古今亭志ん朝)など当時の若手と知り合い、落語にさらにのめり込む。また、8代目桂文楽にも目をかけられた。1961年にラジオ東京(現:TBS)に入社。尚、同期入社に田淵威、恒田光男、新村尚久、平山允、藤林英雄、内田房子、小木曽ひろ子、坂元良江、島倉恭子、野中泰子、原田淑枝、結城田鶴子、若本ミチ子がいる。最初はアナウンサー職で、1963年11月に報道局ニュース部に所属し、1965年7月29日に発生したライフル乱射事件現場リポートや芸能番組等を担当後、1965年12月にテレビ編成局第一演出部に異動し、ディレクター、プロデューサーに転身する。ラジオ本部ラジオ局制作部(1974年10月)→ラジオ局編成部(1980年6月)→ラジオ局第二制作部(1983年3月)→ラジオ局社会情報部(1988年1月)→ラジオ総局ラジオ編成局編成業務部(1989年10月)では、演芸番組や、ラジオドラマなどを演出・制作。演芸番組では、自身が出演して番組内で喋って解説等もしていた事もある。その後、経理局財務部(1990年5月)を経て、1993年3月、TBSを退職。落語評論の分野では、「現代落語家論」シリーズで、落語家との対談形式で、別の落語家を論じるという、今までになかった方法を考案。また、学生の頃から集めはじめた落語の高座の録音テープの収集は日本有数とされ、その貴重な音源を元に、ラジオ番組「早起き名人会」で放送。また、その音源を元に、『席亭 立川談志の「ゆめの寄席」』など、多くのCD化がされている。「貞やんを(落語界で)知らぬ者はいない。知らない奴は馬鹿かモグリだ」と立川談志から評される業界名物人間であり、確固たる実績を誇っているが、相手側の事実誤認に基づくトラブルもある。2002年、落語協会機関誌「落語の友」において、春風亭小朝が書いた文章に「匿名にこそしてあるが事実上自分を名指しにしている。そして事実と違う。引き合いに出された故人(噺家)にも失礼。紙に書いたことは後世に残る」と激怒。猛抗議の末、該当号を回収・改定のうえで次号にも大きく訂正記事を掲載させた。「事実を確かめもせずに」と川戸の怒りは収まらず自身の著書「落語大百科第5巻」のあとがきにおいてもこのことに触れている。もっとも、楽屋での噂話を(該当人物が存命であるのにもかかわらず)確認を取らず書くこと自体は川戸自身も行っているため、自身が目をかけていた小朝に裏切られたという私怨による抗議と解釈されている。その後機関誌の発行は休止状態に陥り、その状態は現在も続いている。2008年2月には、NHKのラジオ番組「ラジオ名人寄席」において、かつて自分が担当した番組「早起き名人会」などで放送した内容が、無断で放送されていることについて指摘した。このことにより、「ラジオ名人寄席」においての音源無断放送行為があきらかになり、番組は終了。しかし、NHK及び司会の玉置宏サイドの対応に不満を持ち、またNHK側の発表に事実と違う部分があると川戸に事態を相談した録音エンジニアの草柳俊一と共に同年3月31日に会見を行い「玉置宏は落語を食い物にしている」「責任を取って横浜にぎわい座の館長も辞任すべし」と批判した。司会の玉置宏は以後メディアから姿を消し(横浜にぎわい座館長は関係者の慰留もあり続投)、2010年に死去。また、この事件の影響でNHKラジオの過去の演者・演目の落語演芸関連の放送を行う番組(番組内でCD等から放送する番組)は急速に減り、2009年3月末を以って、1番組も無くなった。

出典:wikipedia

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