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ワタリ (漫画)

『ワタリ』は、白土三平による日本の漫画作品。実写映画化もされた。『週刊少年マガジン』(講談社)で連載された。全三部構成。単行本は全7巻。「第一部」が 1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)に、「第二部」が 1966年(昭和41年)に、「第三部」が 1967年(昭和42年)にそれぞれ執筆された。1965年頃につげ義春を伴い千葉県大多喜の旅館寿恵比楼に宿泊し、この作品のコマ割りを手がけていた。この際にはしばしば釣りに出かけたが、蟹取橋下流側の好釣り場では杭の穴に足を落とした。このエピソードはつげ義春の『西部田村事件』で患者が足を杭の穴に落とすエピソードとして描かれた。1966年(昭和41年)には、『大忍術映画ワタリ』のタイトルで映画化。1969年(昭和44年)には『忍風カムイ外伝』の後番組としてTCJ、宣弘社によってテレビアニメ化が企画され、パイロットフィルムも製作されたが、実現しなかった。百地党と藤林党の争いが続く伊賀の里。そこでは下忍たちの命は使い捨ての駒として軽く扱われていた。そこへ突如、伊賀の里に現れた謎の忍者、ワタリとじい(四貫目)。彼らは伊賀、甲賀、いずれにも属さない「ワタリ一族」と呼ばれていた。この争いは仕組まれていると感じたワタリとじいは百地党につき、陰謀を暴こうとする。『大忍術映画ワタリ』のタイトルで映画化。東映の劇場映画として、1966年(昭和41年)7月21日に公開。カラー、シネスコ、82分。東映京都撮影所(以下、京撮)。同時上映は『サイボーグ009』(東映動画。この作品も『少年マガジン連載)と『なかよし合奏団』(東映教育映画)で、金子吉延演じるワタリが『009』主役の「島村ジョー(009)」と握手する合成写真が劇場や宣伝で使われた。大川博東映社長の命で、京撮の大リストラを敢行していた岡田茂京撮所長(当時、のち同社社長)が、テレビ映画に本格的に参入を図り、岡田が設立した東映京都テレビプロダクションの田口直也所長(当時)に命じ、関西のテレビ関係のキーパーソンを積極的に起用する方針を打ち出した。以前から付き合いのあった入江雄三電通大阪支社企画室長を介して、芝田研三関西テレビ副社長と東映テレビ次長・渡邊亮徳(全て当時)を引き合わせ「お互いに話を煮詰めて、子供ものの時代劇で何かおもしろいものを作ってくれ」と岡田が二人に要望を出し、東映で子供向けの時代劇として最初に企画されたのが本作である。渡邊が、東映映画部門に働き掛けて実現した。渡邊はこの漫画の映画化を皮切りに、連続テレビドラマ化を構想していた。しかし、脚本を一読した原作者の白土三平は、「ライフワークである“階級解放闘争”が消されている」として激怒。渡邊が直接説得に当たり、撮影そのものは終えることが出来た。ところが、完成試写を観た白土は「こんな映画を上映させるわけにはいかない」と再び激怒、席を蹴って帰ってしまった。しかし、企画に参加した平山亨東映プロデューサー(当時)が、「誰がどう説得したかわからない」という中、作品は無事に封切られることが出来、興行的には大ヒットとなった。渡邊次長はこの『ワタリ』の映画化と続くテレビシリーズ化を、入江、芝田と協力してプロジェクト化していた。しかし原作者の白土の怒りは収まらず、公開後には「こんな映画はもってのほかだ、今後一切東映とは付き合わない」として東映と縁を切ってしまった。このような事情で『ワタリ』カラーテレビ番組化のプロジェクトは頓挫したが、渡邊は今度は原作を忍者漫画のもう一方の第一人者であった横山光輝に依頼、このテレビ時代劇企画は、翌年に『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ)として実現に至った。こうして作品は変わったが、渡邊や芝田らの目指した「カラーテレビ番組」制作の夢が叶うこととなり、『ワタリ』で培われたカラーでの撮影・合成技術のノウハウや、金子吉延や牧冬吉、天津敏らのキャスティングは、そのまま本作で特撮を担当した倉田準二監督によって、『赤影』に受け継がれた。本作の楽曲も、一部が『赤影』に流用されている。監督は1964年(昭和39年)に、東映京都で映画版『隠密剣士』を撮った船床定男が担当。『隠密剣士』の設定および脚本を手掛けた西村俊一、伊上勝ら、宣弘社系列のスタッフが本編を手掛けている。この映画を前に、東映京都撮影所は、米国「オックスベリー社」の最新式オプチカル・プリンターや、ブルーバック合成設備を購入。船床も、「カラー作品」であることを念頭に、忍術の表現に東映動画のスタッフによる幻想的なアニメーションを合成するなど、色彩豊かでファンタジックな映像作りに努め、内外でも評判となった。本作は海外にも輸出され、オリエンタルな要素が受け、フランスなど欧州や、台湾でも大ヒットした。『ワタリ』を観た台湾の映画プロデューサー黄銘は船床定男の演出手腕に注目し、西村俊一を説得して『銀姑』という映画を撮らせている。またさらに台湾映画界は「ワタリ」役の金子吉延を招き、1970年(昭和45年)に、金子の主演で特撮冒険映画『神童桃太郎』、『桃太郎斬七妖』を制作している。ワタリ役の金子は『少年マガジン』に連載されていた原作の大ファンで、当時『丹下左膳 飛燕居合斬り』(五社英雄監督、東映京都)の撮影で京都にいた。そこで『ワタリ』が東映京都で映画化されると聞き、「せっかく京都にいるんだから、出演させてもらおう」と、企画室に日参して売り込んだという。本人は脇役でのつもりだったが主役に選ばれ、漫画原作を読んでいただけに戸惑ったという。撮影は3ヶ月におよんだため、金子は撮影期間中母親とともに東映の女子寮に入寮していた。船床は『隠密剣士』『丹下左膳』に出演していた子役の大森俊介に出演を依頼していたが、大森はこれを断り、その後引退した。特殊撮影班

出典:wikipedia

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