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宮城県仙台第一高等学校

宮城県仙台第一高等学校(みやぎけんせんだいだいいちこうとうがっこう)は宮城県仙台市若林区に所在する県立高等学校。一高、仙台一高の通称で呼ばれている。在校生からは一の代わりに壱の字がよく使われる。スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校。OBでもある劇作家の井上ひさしの「青葉繁れる」のモデルとなった。1892年に宮城県尋常中学校として開校。2012年に創立120周年を迎えた。仙台二高・仙台三高・宮城一高・仙台二華・仙台三桜と合わせて「ナンバースクール」と呼ばれる。校訓と標語として「自重献身」「自発能動」を掲げており、生徒の自主性を重んじるため、自由な校風である。制服がなく私服校。また一足制で上履きがない。2012年度より文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定(5年間)を受けた。10年以上、共学化に対する論争が起こっていたが、2009年に県教委の正式な決定がされたことから、2010年度より共学化された。統廃合は無く、校章・校歌・校名はそのまま使用されている。2010年度の入学試験では推薦入試で35名、一般入試で47名の、計82名の女子生徒が合格した。地元である東北大学や、東京大学といった国公立大学や、早稲田大学や慶應義塾大学などの私大とさまざまである。2011年度では東大合格者を11名輩出した。標語である「自發能動 以亮天功」を成就するために1981年に生徒会規則で定められたもので、それまでのいわゆる「執行部制度」「生徒会長」などを廃止し、あらたに「生徒総会」を中心とする生徒会構図を築きあげた。執行部がないので、文化祭や体育祭などの実行委員会は各学年の有志で構成される。学年、人数等に制限はない。應援團とも表記される。弊衣破帽を身に纏ったバンカラスタイルでの応援を特徴とする。発足は大正時代で、後の1936年(昭和11年)4月に正式に初代応援団が結成され、今に至る。応援団幹部は、全校選挙で選ばれる団長1名、生徒総会の承認を必要とする副団長3名、以下幹部若干名から成る。昭和60年代頃より幹部は長髪(稀にスキンヘッドもある。)、ボロランで高校生活を過ごすようになった。また、同じメロディーで歌詞を替えた歌も作られている。毎年4月下旬に開催される。開会式では体操として一高体操が行われる。前日に市内で希望者は聖火リレーを行い、他の高校(宮二女=現二華中・高など)で一高体操を披露する。ほとんどの生徒が仮装で市内を走る。2012年は同日開催であった二高・宮一(宮城第一高校)・二華高校が雨で運動祭を中止するなか、一高は唯一運動祭を実行した。昭和49年に、仙台二高から転任した体育教師、渡辺剛吉によって発案され、57年に「ストレッチ運動」、58年には「伴奏」がそれぞれ追加された。裏一高体操、あたりまえ一高体操等派生形も多々存在する。対仙台二高定期戦とは、ライバル関係にある仙台二高との間で行われる定期戦の総称である。単に「定期戦」と言った場合には硬式野球定期戦を指す。硬式野球定期戦・三部定期戦以外にも、幾つかの部で定期戦が行われている。硬式野球定期戦は、仙台二高との硬式野球の定期戦で、毎年5月中旬に行われる。「杜の都の早慶戦」と呼ばれるが、早慶戦よりも起源は古く、1900年から何度か中断されながらも続いている伝統行事である。両校とも、応援団幹部を中心として全校総出で応援合戦を繰り広げるため、両校の生徒にとって最大のイベントとなっている。2007年に仙台二高の共学化に伴い、その存続が危ぶまれていたが、引き続いて開催された。また、東北楽天ゴールデンイーグルスのプロ野球参入に伴う宮城球場(Kスタ宮城)の改装により、従来の応援形式がとれないなどの問題も発生している。2012年5月12日に実施された定期戦では仙台一高が勝利。優勝回数は仙台一高29回、仙台二高29回(両校引き分けが9回)となった。1971年の仙台一高・二高野球定期戦開催を前に行進したのが始まり。第1回は、仙台一高側が東北大学片平キャンパス北門前を出発し、東一番丁通り(当時の東一番丁通りは歩行者専用道路ではなく、2車線の車道だった)を北上し、勾当台公園の野外音楽堂前で二高側と落ち合って、双方が応援歌を歌い、エールを交換した。仙台二高ではPR行進と呼ぶ。硬式野球定期戦の前々日に行われ、仙台一高・仙台二高の応援団幹部をそれぞれ先頭とし、以下、各校の1年生全員と2・3年生有志が、応援歌や野次を叫びながら一番町を行進し、西公園までを歩く。前述の聖火リレーのように、仮装をして行進する生徒が多い。仙台二高では一時期PR行進が中止されている時期があったが、2009年に復活した。三部定期戦は、以下の部活動における仙台二高との定期戦で、硬式野球定期戦と同時期に行われる。柔道定期戦は年2回で、冬期にも行われる。このほかラグビー部の定期戦を正月元旦に開催している。2学年の宿泊行事として、宮城蔵王の仙台一高井戸沢小屋で行われていた。現在は週休二日制などの影響により、学年行事としての山小屋HRは中止され、2002年度より下記の東京移動HRと呼ばれる行事に変わった。しかし山小屋HRは形を発起人制の行事に変え、有志により今日まで続けられている。山岳部OBなどを含め毎年30〜40名ほどの参加者がいる。2002年度より、2学年時の行事として毎年6月から7月頃に行われている。東京に宿を取り、大学や企業を見学をすることが主な目的。夜には宿にて卒業生との懇談会も開催されている。2009年度は9月に行われた。1学年時における宿泊行事で、1977年より毎年6月から7月頃に行われている。網地島という仙台湾内の島での島の生態や環境の調査といった生物や地学の実習や、石巻市の漁業関係施設や女川原子力PRセンターの訪問などの政治経済の実習を兼ねていた。しかし2011年の合同巡検は東日本大震災の影響で中止となった。そして2012年からはSSH合同巡検として青森で再開した。浅虫海岸での生物実習。三内丸山遺跡の遺跡研修。大釈迦層での地学実習を行なっている。研修後にレポートの提出がある。仙台一高の文化祭として毎年8月下旬もしくは9月初旬に3日間を使って行われており(1976年度は開催されず)、生徒からの発起人から成り立つ「壱高祭実行委員会」によって運営される。元来、1945年より「文化祭」という名前で毎年10月に行われていたが、1957年に「壱高祭」と改称、2007年の壱高祭で50回目となった。また初夜祭、中夜祭があり、前者が来訪者向け、後者が一高らしい独特の雰囲気のものとなっている。仙台一高の秋の風物詩として1965年より毎年10月頃に行われている。他人と競い合う競歩ではなく「強歩」である。学校を早朝に出発し、仙台市内を大きく回って秋保温泉まで約40kmを歩く。距離の違う2種類のコースがあり、年度ごとにローテーションをする。なお、この大会は「小雨決行」(事実上の雨天決行)であり、実際1965年から2006年までの41年間、一回も中止されていない。2004年の第39回大会では、台風接近により他校が次々に休校を決定する中、一高は大会を決行。2015年は8年ぶりに大倉ダムコースが復活した。男子生徒は水泳の授業にて赤いブーメランパンツを着用することになっている。学校の敷地は主に校舎のある元茶畑に位置する。他にも仙台市若林区荒井にある、硬式野球部専用の第二運動場(通称:二グラ)からなる。1993年に完成。地上5階建。図書館は県内高校随一の蔵書数を誇る。地下書庫もあり、プロ作家をはじめ、様々な専門分野で執筆活動をしている卒業生の作品などがある。1階は柔道場と和室。2階は剣道場と卓球場からなる。図書館とは別に、学習室があり、ほぼ毎日開放されている。約100席ほどのスペースで、生徒の自治で管理されている。創立百周年事業として、仙台市若林区荒井宇藤田東二五番地に造成。面積は約5,500坪。グラウンドと併せてクラブハウスも作られた。硬式野球部が使用。生徒は、運動部・学芸部・同好会・愛好会のいずれか1つ以上への加入を義務付けられる。以下に部活動の一覧を示す。なお、「壱高祭実行委員」などの、生徒からの発起人により組織されるものもある。「宮城県仙台第一高等学校同窓会」と称する。2014年で第58回を数える行事。卒業生同士の懇親を深めるためとされる。毎年曜日に関係なく8月15日の18時から行われる。会場は例年ホテルメトロポリタン仙台である。当年度に満42歳を迎える期の卒業生が幹事となる。仙台駅から南東に徒歩20分、自転車で10分の距離にある。仙台市都心部から程近い場所にあり、近隣には宮城県仙台二華中学校・高等学校や東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である楽天Koboスタジアム宮城などがある。2015年12月6日に仙台一高北門前に仙台市地下鉄東西線・連坊駅が開業。

出典:wikipedia

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