LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

吾平山上陵

吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ、あいらさんりょう)は、ウガヤフキアエズ(天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)とタマヨリビメ(玉依姫)の陵。可愛山陵、高屋山上陵とともに神代三山陵の一つ。明治政府により1874年(明治7年)、鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を「吾平山上陵」(現・鹿児島県鹿屋市吾平町上名)に治定した。現在、宮内庁書陵部が管轄している。ただし、その後の1896年(明治29年)にも「鵜戸陵墓参考地」(鵜戸神宮背後の速日峯山上、現・宮崎県日南市宮浦)を定めている。伝承地は他にも日本の宮崎県と鹿児島県に数か所ある。『延喜式』に、「日向国吾平山上陵」(、は返り点)とあり、『日本書紀』に、「崩西州之宮、因葬日向」吾平山上陵」(、は返り点)とある。平安時代にはすでに陵戸が無かったが、1874年(明治7年)7月10日に政府は肝属郡姶良郷上名(かんみょう)村に治定を見た。しかし、鹿児島と県を接する宮崎県側からの反論が強く、1896年(明治29年)6月23日に鵜戸神宮近くの速日峯山上も伝説地と定めた(現在は参考地)。鹿屋市吾平町の吾平山上陵は「小伊勢」ともいわれ、1935年(昭和10年)には昭和天皇が、1962年(昭和37年)には皇太子(今上天皇)・皇太子妃(皇后美智子)が参拝している。1936年(昭和11年)に建立された昭和天皇の参拝記念碑は、1938年(昭和13年)10月15日の水害(肝属川を参照)で流出したが、1990年(平成2年)に河川整備事業の最中に発見され再び建立された。山陵内には「鵜戸六社権現」があったが、1871年(明治4年)の災害により現在地(鹿屋市吾平総合支所⦅旧吾平町役場⦆の南隣)に遷座し、名称も鵜戸神社に改められている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。