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神代錦

神代 錦(かみよ にしき、本名・稲垣静子(いながき しずこ),1917年3月18日 - 1989年2月23日)は、元宝塚歌劇団男役で、元同劇団理事。花組主演男役、花組・星組組長を務めた後、1989年(平成元年)在団のまま死去。鳥取県倉吉市出身。出身校倉吉成徳学校。愛称イナちゃん、靜いちゃん、イナゴ、チャガちゃん。公称身長164センチ。姉は高砂松子。1929年「春の踊り」で初舞台、同期生に園井恵子、桜緋紗子、千村克子、藤花ひさみらがいる。宝塚歌劇団19期生。芸名は小倉百人一首の第24番:菅原道真の「此のたびは 幣も取敢へず 手向山 紅葉の錦 神の随に (このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに)」に由来。なお戦時中軍の要請で芸名表記を嘉美代 錦としていた時期があった。戦前の下級生時代はダンサーとして、洋舞・日舞(名取名藤間松左)の名手として注目された。1943年花組組長に就任、1948年復活する星組へ組替となるまで務めた。1948年星組組長に。1951年まで組長をつとめのち演劇専科へ異動。演劇専科へ異動後も春日野八千代らとともに主演級あるいはそれに準じたポジションでたびたび本公演に登場し舞台を引き締めた。1961年、第16回芸術祭奨励賞(演劇の部)を受賞。1973年には歌劇団理事に就任、往年からすれば出演の機会こそ疎となってはいたが、ひきつづき1980年代半ば(「花供養」1984年宝塚バウホール公演など)まで舞台に立ち続けた。昭和60年代(1985年から1988年くらい)に入ってからは在団は続けるも舞台から遠ざかっていた。このころより神代の足の故障とその進行ほか健康状態が悪化していたことによるものであった(さる出版物上における植田紳爾の談話)という。1989年2月23日、満72歳の誕生日を目前に死去。

出典:wikipedia

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