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石井富之助

石井 富之助(いしい とみのすけ、1835年6月30日(天保6年7月25日) - 1897年(明治30年)10月25日)は、幕末の肥前国佐賀藩士。明治政府の高官。諱は藹吉。佐賀藩士石井英勝の子として生まれる。幼少より秀才で、国学から蘭学まで通じていた。長じて佐賀藩の三重津海軍所に入る。1868年(明治元年)、戊辰戦争の勃発により新政府の軍務局判事試補に抜擢され、箱館戦争では海軍参謀補助(副参謀)として活躍する。その際、旧幕府軍の動きを知らせに来た陸軍参謀の黒田清隆の助言を軽視したため、陣中で黒田と激しく口論した逸話が残る。戦後、武功により明治天皇から恩賜の短刀と永世禄130石を拝領した。明治政府では、正七位兵部権少丞に任ぜられ、長州藩出身の大村益次郎や山縣有朋の副官として近代軍制の確立に貢献した。その後、海軍大丞、兵部少丞を歴任し、正六位に叙せられるが、1876年(明治9年)病気により辞任し、東京の麻布に隠遁する。1897年(明治30年)10月25日に死去。享年62。墓所は東京都港区元麻布の佐賀藩ゆかりの賢崇寺。分骨は先祖代々の菩提寺である佐賀県佐賀市高木瀬東の本通寺に納められた。賢崇寺にある富之助の墓石の背面には「直良沈毅」、すなわち実直で良識があり冷静沈着と記されている。なお、幕末の学者武富い南は、伯母婿にあたる。

出典:wikipedia

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