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最高裁判所裁判官国民審査

最高裁判所裁判官国民審査(さいこうさいばんしょさいばんかんこくみんしんさ)は、日本において最高裁判所裁判官を罷免するかどうかを国民が審査する制度である。日本国憲法第79条第2項及び第3項と最高裁判所裁判官国民審査法に基づいている制度である。最高裁判所裁判官は、任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に国民審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙の際に再審査を受け、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。しかし、日本では諸外国と比べて司法に対する国民の関心が低い上、国民審査は必ず衆議院議員総選挙と同時に実施することと定められており、大手の新聞社やテレビ局は衆議院議員総選挙のニュースばかりを大きく報道していて、国民審査の扱いは極めて小さいため、国民審査は国民からほとんど注目されることがない。また、最高裁判所裁判官の定年は70歳であるのに対し、最高裁判所裁判官に任命される者はほとんどが60歳以上であるため、上記の日本国憲法第79条第2項の条件を満たして実際に国民審査の再審査を受けた最高裁判所裁判官は過去にわずか6人で、再審査を2度受けた裁判官は1人もおらず、後述の通り1963年を最後に国民審査の再審査は1度も行われていない。日本国外からの評価事例として、アメリカ人で東京大学教授のダニエル・フットは、日本では市民の意向が国民審査によって反映される状況になっていないことを指摘している。また、オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンは、日本の社会に関する論説の中で、国民審査の制度について「この“直接民主主義”は純粋に儀式的な、そえ物」と表現している。アメリカのいくつかの州には日本の国民審査制度とよく似た制度が存在する。1930年代から制度の検討が始められ、1940年にミズーリ州で始められたものが最初とされるが、この審査制度はアメリカ合衆国最高裁判所の裁判官には適用されていない。この制度が日本国憲法に導入された経緯については、不明な点も多い。もともとは太平洋戦争終了後に日本の行政を監視・統制していたGHQの提案により憲法改正案に導入されたものであるが、当時、憲法改正案を審議していた貴族院において、元大審院院長であり後に最高裁判所裁判官にもなった霜山精一議員は「(国民審査を導入すると)裁判官は罷免を恐れて良心から出る裁判に影響を来す。法律の判断は国民に容易に分かるものではないから、国民審査制度はぜひやめたい」と言って、国民審査の導入に強く反対した。この反対に対し、元東京帝国大学法学部長の山田三良議員は「(国民審査は)裁判官をして反省させるために必要である。民主化するに伴い、国民も裁判に関心を持ち、裁判の当否を批判する力を持つに至る」と反論し、最高裁判所裁判官の権力の乱用を防ぐ手段としての国民審査の必要性を訴えた。また、GHQ側は貴族院に対し、国民審査を導入しないのであれば最高裁判所裁判官の任命をアメリカの場合と同じく国会同意人事にすべきであると主張したが、それでは最高裁判所が国会の支配下に置かれることになり、司法の独立を阻害される結果を招きかねないとして、最終的には霜山も不本意ながら国民審査の導入を認めたとされる。ただ、国民審査制度の実効性については提案したGHQ側も懐疑的だったらしく、GHQの司法担当だったアルフレッド・オプラーは1949年に書いた論文の中で、裁判官全員が信任された第1回国民審査の結果を踏まえて「最高裁の裁判官について多くの人が関心を持つようになることがあるのか、かなり疑問だ」と感想を述べ、「審査制度は裁判官の任命に関する実質的なチェックというより、国民主権の象徴的な制度と解釈したい」と記している。×印(または点字で書かれた氏名)を記入した票は「罷免を可とする票」と呼ばれ、罷免を可とする票が有効票数の過半数に達した裁判官は罷免される。ただし、その審査の投票率が100分の1(1%)未満であった場合には罷免されない(最高裁判所裁判官国民審査法第32条)。何も記入しない票は「罷免を可としない票」と呼ばれる。「罷免を可としない票」「罷免を可とする票」は一般に「信任票」「不信任票」と呼ばれることが多いが、法律上は「信任」「不信任」という用語は使われておらず、また本制度の趣旨が積極的な罷免の可否を有権者の投票に委ねるということであるから、いわゆる信任投票とは本質的に異なる。国民審査の告示は、衆議院議員総選挙の公示と同時に行われる。告示後には、有権者投票の判断材料の一つとして、審査の対象となる裁判官の経歴や主な裁判の判決(最高裁判決の少数意見を含む)を簡単に記載した『審査公報』が発行される。国民審査が必ず衆議院議員総選挙と同時に行われるのは、司法に対する国民の関心が低い日本において国民審査を単独で行うと投票率が大幅に下がることが予想されるため、国民の大部分が参加する国政選挙と同時に国民審査を行うのが合理的と考えられたためとされる。一方、参議院議員通常選挙の際に国民審査を行わないのは、この制度が作られた当時の衆議院議員総選挙は中選挙区制で1票を投じるだけの選挙であったのに対し、参議院議員通常選挙は地方区と全国区の2票を投じる選挙で開票作業に時間がかかっていたため、参議院議員通常選挙の際に国民審査を行うのは合理的ではないと考えられたためとされる。投票用紙は右縦書きであるが、投票用紙の右側に記載されている裁判官の氏名の欄に×印を書かれる確率が高くなる傾向がある「順序効果」が統計的に指摘されている。投票用紙に記載される裁判官の氏名の順序は前述の通りくじ引きで決められることになっている。これら国民審査の実施方法などについては、最高裁判所裁判官国民審査法で定められている。この他に裁判官を罷免する制度は日本国憲法第78条に基づく弾劾裁判の制度があるが、現在までに最高裁判所裁判官が弾劾裁判の対象とされた事例は1例も存在しない。一般に公表される国民審査の不信任率(罷免を可とする票の割合)は全国平均の結果であるが、この率は都道府県によって大きな差が生じる傾向がある。例えば、2003年に審査を受けた泉徳治の場合、「罷免を可とする票」の比率の全国平均は7.3%であったが、最も高い県は沖縄県の13.5%、最も低い県は福井県の3.9%で、他の裁判官の審査においても同様の傾向であったという。沖縄県で「罷免を可とする票」の比率が高いのは、戦争の記憶やアメリカ軍の基地の問題が背景にあり、裁判所や政府を含む日本の統治機構全体に対する不信感が強いためではないかと推測されている。ちなみに沖縄県はアメリカ軍の基地の問題を抱えている事情もあり、人口当たりの訴訟件数も全国一である。この他に「罷免を可とする票」の比率の高い都道府県としては北海道と京都府があり、これら3つの都道府県は長年にわたって「罷免を可とする票」比率のトップ3を占めている。しかし、とりわけアメリカ軍の基地の問題について、アメリカに有利な判決を出すことが多いと考えるものがいる日本の裁判所に対する沖縄県民の批判は根強く、沖縄県における国民審査の「罷免を可とする票」の比率は第2位以下の都道府県を大きく引き離して常に第1位である。過去の国民審査において最も「罷免を可とする票」の比率が高かった下田武三の審査の場合、「罷免を可とする票」の比率の全国平均15.17%に対して、沖縄県における「罷免を可とする票」の比率は39.5%であった。国民審査で罷免された最高裁判所裁判官は、罷免の日から少なくとも5年間は最高裁判所裁判官に任命されることができない(最高裁判所国民審査法第35条の2)。法曹資格がない者が最高裁判所裁判官に就任した場合は弁護士法第6条によって弁護士資格を得るが、国民審査で罷免されても、弁護士資格は剥奪されない。最高裁判所は昭和27年(1952年)2月20日の大法廷判決において、国民審査の制度を「解職の制度」と見なす判断を示している。しかし、現在までに国民審査によって罷免された裁判官は1人もいない。日本国憲法79条第2項において、国民審査は衆議院議員総選挙(衆院選)と同時に行うことと定められている上、大手のマスコミは衆議院議員総選挙のニュースばかりを大きく報道していて、国民審査についての報道をすることは滅多にないため、国民審査の存在は衆議院議員総選挙のニュースの陰に隠れてほとんど注目されないのが現状である。もともと日本ではマスコミが最高裁判所裁判官についての報道をすること自体が稀であるため、日本の一般国民の大部分は最高裁判所裁判官の名前さえ知ることもなく、投票所で初めて裁判官の名前を知る国民も多いという。最高裁判所判事の経歴や実績が詳細に報道されるアメリカとは異なり、日本の最高裁判所裁判官についての報道は新聞の片隅に小さく掲載されるだけのベタ記事扱いであることが多く、前述の『審査公報』に掲載される裁判官の判決の情報でさえ、裁判官1人につき多くてもわずか5~6件程度で、判断材料が極めて少ない。このため、国民審査の制度は完全に儀式化・形骸化していると言われるが、それでも国民審査は「伝家の宝刀」であり、存在することによって最高裁判所裁判官の権力の乱用を抑える一定の効果があるとする意見も強い。元貴族院議員の一人で国民審査の導入に尽くした前述の山田三良は生前、国民審査の制度を「裁判官に対する最後の統制手段たるレファレンダム(国民投票)制」と表現していた。国民審査による裁判官の解職は、罷免を可とする過半数の票のみで足り、罷免すべき理由が裁判官訴追委員会と裁判官弾劾裁判所の定める訴追事由に該当する「職務上義務に著しく違反した事由」「職務を甚だしく怠った事由」「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった事由」であるかどうかは一切問われない(罷免すべき理由は「自分の思想や政治信条に合わない判決」「一般国民の常識からかけ離れた事実認定による誤判」でもよく、極端な場合は「怖そうな顔の裁判官」などという裁判官の職務と関係のない理由でも罷免票になり得る)。この点において、国民審査の制度は衆議院による内閣不信任決議とよく似ていると言える。しかし、常に選挙や内閣支持率調査などによる国民からの監視を受け、国民の意思に沿って行動することが絶えず求められる国会や内閣と異なり、多数派や権力者などの利害から離れ、憲法と良心に基づき独立して行動しなければならない裁判官に同じ制度を設けることには無理があるとする意見がある。「国民審査による罷免を恐れて、裁判官が多数派やそれを扇動する権力者に迎合してしまい、その結果、公正な裁判がなされなくなる可能性があるから、国民審査は廃止すべきである」などといった主張は、日本国憲法が施行された1947年当時から主に最高裁判所の関係者によってなされている(前述の霜山精一がその代表である)。反面、例えば前述の通り、日本の裁判官たちはアメリカの政治的圧力を警戒して、アメリカ軍の基地の問題についてはアメリカに有利な判決を出す場合が多いなど、実際の裁判官たちは必ずしも「多数派や権力者などの利害から離れ、憲法と良心に基づき独立して行動している」とは言えない状態であることも事実であり、そのような裁判官たちの不公正な権力行使を防ぐために国民審査は必要不可欠であるとする国民の反論も根強い(前述の山田三良がその代表である)。しかし、実際の国民審査は、前述の通り終始一貫して国民審査の廃止を求めている最高裁判所の意向が尊重され、後述の通りあらゆる点において国民に不利な方式で運用されているのが現状である。前述の通り霜山精一が最高裁判所の関係者を代表して国民審査の導入に反対した際、山田三良を除く貴族院議員の多くは霜山の意見に賛同していたとされる。ちなみに、前述の泉徳治は他の最高裁判所裁判官と同様に国民審査の廃止を希望しつつ、「最高裁のチェック機能を働かせたいなら、(国民審査よりも)裁判官の選考過程を透明化した方がよい。今は(最高裁判所裁判官の選考は全て非公開で行われているため)誰がどういう理由で選ばれたのか(国民には)分からない。(最高裁判所裁判官の選考については)有識者会議にはかる仕組みを作ったらどうだろうか」と発言している。また、期日前投票制度では衆議院総選挙の期日前投票は公示日の翌日から可能であるのに対して、国民審査の期日前投票は投票日の7日前からとされている。衆議院総選挙は公職選挙法第31条により投票日より12日以上前に公示することが定められているため、少なくとも4日間のタイムラグが生じることになる。このため、投票日より8日以上前には衆議院総選挙の期日前投票しかできず、国民審査の期日前投票を行うには投票日の7日前以降に改めて出直さなければならない。また、衆議院総選挙の在外投票は可能であるのに対し、国民審査の在外投票は認められていない。このように衆議院総選挙と国民審査の期日前投票を行うために多くの有権者が2回も投票所へ行かなければならない問題については、有権者のみならず選挙管理委員会の現場からも「事務手続きが増え、現場も苦労するのになぜ国は法改正をしないのか」などといった苦情が寄せられている。このように国民審査の期日前投票ができる期間が衆議院総選挙のそれよりも短いのは、手書きで候補者名や政党名を記入する選挙の投票用紙と違って国民審査の投票用紙には審査の対象となる裁判官の氏名まで印刷する必要があり、国民審査の告示日は衆議院総選挙の公示日と同日で、告示日に審査の対象となる裁判官が確定してから投票用紙の印刷を開始するので印刷作業に時間がかかるためであるなどと総務省は説明している。しかし、実際には衆議院の解散の時点で審査の対象となる裁判官はほぼ判明していること、実際の衆議院総選挙では衆議院の解散から総選挙の公示日(=国民審査の告示日)までに短くても8日間の時間の余裕がある上、審査の投票用紙は単に裁判官の氏名を列記してその上に×印を記入できる欄があるだけのシンプルなもので、実際の印刷作業は1日もあれば可能であると考えられること、また期日前投票の投票所は市役所や区役所やその支所などに限定されていることから、総務省がやる気さえあれば衆議院総選挙の公示日の翌日から国民審査の期日前投票を実施することは十分に可能ではないか(在外投票の問題についても同様)とする批判もある。国民審査には制度上、再審査制度が存在するが、国民審査で一度信任された最高裁判所裁判官は日本国憲法第79条第2項の規定により、審査を受けた日から10年経過した後の衆議院総選挙まで再審査にかけられることはない。裁判所法第50条の規定により最高裁判所裁判官は70歳になると定年退官する決まりであるため、再審査を受けるには遅くとも50代で最高裁判所裁判官に就任しなければならない。これらの条件を満たし、実際に再審査を受けた最高裁判所裁判官6人(1963年11月21日の入江俊郎の再審査が最後)であり、再審査を2度受けた裁判官はいない。さらに、再審査を2度受けるには遅くとも40代で最高裁判所裁判官に就任しなければならないが、実際には史上最年少で最高裁判所裁判官に任命された前述の入江俊郎でさえ就任時の年齢は51歳であり、再審査を2度受けた最高裁判所裁判官は1人もいない。50代で最高裁判所裁判官に任命されたのは1964年1月16日就任の田中二郎が最後であり、同年1月31日就任の松田二郎以降の最高裁判所裁判官は全て60歳以上で任命されているため、現在では再審査を受ける最高裁判所裁判官は皆無になっている。最高裁判所裁判官の就任直後に衆議院総選挙があると、その裁判官は最高裁判所裁判官としての実績がほとんどないため、判断材料の限られる状況で審査を受けることになってしまう。具体的な例として、林藤之輔は1986年6月13日に最高裁判所裁判官に就任し、24日目の7月6日に国民審査を受けている。逆に、任命されてから退官するまでの間に衆議院総選挙が行われなかった場合には、その裁判官は実績の有無に関わらず国民審査を受けることはない。実際に国民審査を受けなかった最高裁判所裁判官は過去に2人存在する(就任後1年未満で依願退官した庄野理一と、就任後2年余で在任中に死去した穂積重遠)。最高裁判所裁判官が国民審査を受けることなく定年退官した例はまだないものの、衆議院総選挙後に66歳以上で最高裁判所裁判官に任命された者は、次の衆議院総選挙が行われる前に70歳になって定年退官する可能性が有り得る。具体的な例として、2012年12月26日に定年退官した須藤正彦は、2009年の第45回衆議院議員総選挙後に67歳で就任し、退官直前の2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙に伴って国民審査を受けたが、当時の衆議院の状況次第では第46回衆議院議員総選挙は2013年まで行われず、須藤は審査を受けないまま退官する可能性もあった。前述の通り完全に形骸化している国民審査の再審査制度を正常に機能させるため、再審査の時期を最初の審査から10年以上後とする現在の規定を改正して、現職の最高裁判所裁判官全員を毎回審査できる制度に改めるべきとする意見が提唱されている。また、国民審査を受けることなく退官する裁判官の発生を防ぐために、国民審査の機会を衆議院総選挙だけに限定せず参議院議員通常選挙や憲法改正国民投票の際にも審査できるようにしたり、場合によっては国民審査を国政選挙や憲法改正国民投票の機会以外にも単独で実施できるように制度を改正して、国民審査を実施できる機会を現状より多くすべきとの意見も提唱されている。しかし、最高裁判所裁判官国民審査について上記の条件を改正するためには、日本国憲法第79条第2項の改正が必要不可欠であるとする見解が多数である。日本国憲法の条文を改正する(憲法改正)ためには、衆議院と参議院の両院で総議員の3分の2以上の賛成を得た上で国民投票で過半数の賛成を得なければならず、制度の改正は容易ではない問題がある。また、日本では諸外国と比べて司法に対する国民の関心が低いため、国民審査を国政選挙や憲法改正国民投票から独立させて単独で実施すると投票率が現状よりも大幅に下がる可能性が指摘されている。

出典:wikipedia

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