ワンダースピードは日本中央競馬会に登録されていた競走馬。馬名は冠名の「ワンダー」と速度を意味する「スピード」が由来となっている。おもな勝ち鞍はアンタレスステークス、平安ステークス、名古屋グランプリ2回、東海ステークス。半弟にJBCクラシック、帝王賞を含む重賞6勝を挙げたワンダーアキュートがいる。京都競馬場のダート1800メートル戦を得意としており、9戦5勝(重賞2勝)と抜群の成績を残した。競走馬デビュー戦は、8月に小倉競馬場で行われた芝の2歳新馬戦で、5番人気で4着だった。その後未勝利馬のまま園田競馬場に遠征したりしたが勝利できなかった。そして3歳時の2005年の10月にデビュー10戦目でようやく初勝利を挙げた。2勝目は2006年の初戦となった笠松競馬場でのガーネット特別で、さらに2連敗した後に3勝目を挙げたが、この年はその後5連敗を喫した。この年2戦目の4歳以上1000万下競走を制して4勝目を挙げ、昇級初戦の御堂筋ステークス(1600万下)で9着となった後、3月1日付で湯浅三郎厩舎の定年解散に伴い羽月友彦厩舎へ転厩した。転厩初戦の鳴門ステークス(1600万下)は9着だったが、3月に梅田ステークス(1600万下)を制してオープン馬となった。続く重賞初挑戦となった東海ステークスでは11番人気ながら2着、休養を挟んで出走した9月のシリウスステークスでは5番人気で3着に入るなどの好走を続け、10月にはアルデバランステークスを制してオープン競走初勝利を挙げた。次走は第8回ジャパンカップダートに出走登録を行い、登録時点では除外の対象だったものの回避馬がいたおかげで繰り上がりで出走に至り、レースでは11番人気で9着という結果に終わった。しかし続く12月のベテルギウスステークスは2番人気に支持され、当時の日本レコードで競走を制し、レース後は休養に入った。休み明け初戦はアンタレスステークスで、フィフティーワナーやロングプライドといった強豪馬が多く出走したこともあり7番人気にとどまったが、レースでは道中先行し、最後の直線で抜け出して2着のドラゴンファイヤーに1と1/4馬身差をつけて重賞初勝利を挙げた。この勝利は羽月友彦厩舎と生産牧場にとっても重賞初勝利となり、馬主にとっては9年ぶりの重賞勝利となった。続く東海ステークスでは1番人気に推されたが、4着に敗れた。続く帝王賞は5着だった。続くシリウスステークスでも1番人気に支持されたが、マイネルアワグラスにわずかに届かず2着だった。その後、ジャパンカップダートに出走したが、人気通りで去年と同じ9着に敗れた。その後、名古屋グランプリに出走し、2着のメイショウトウコンに2馬身差をつけて快勝した。明け7歳の初戦は1月25日の平安ステークスであった。レースはゴール前で先行逃げ切りを図らんとするエスポワールシチーを捉えて差し切り勝ち、重賞3勝目を挙げた。その後、3月25日の名古屋大賞典に出走したが、後方からの追撃も及ばず2着に終わった。その後、連覇をかけて4月26日のアンタレスステークスに1番人気で出走。道中は5番手でレースを進めたが、逃げるウォータクティクスを捕らえることができず2着に敗れた。続く5月24日の東海ステークスでは3番手でレースを進め、最後の直線で一気に抜け出し快勝、重賞4勝目を挙げた。しかし、帝王賞は出走を回避した。休養を挟んで、10月3日のシリウスステークスに1番人気で出走。このレースには半弟のワンダーアキュートも出走し、兄弟対決となった。レースは中団待機策も直線で伸び切れずワンダーアキュートの5着に敗れ、軍配は弟に上がった。続くJBCクラシックでは3着と好走した。続くジャパンカップダートでは先団追走も失速しブービーの15着に終わった。その後、連覇をかけて挑んだ名古屋グランプリでは惜しくも2着だった。10月2日のシリウスステークスで復帰、先手を奪い逃げるものの直線で力尽き11着と大敗した。続くみやこステークスでは後方追走も直線で全く伸びず10着に敗れた。年齢的な衰えと気力の喪失を感じた陣営は名古屋グランプリでの引退を決断。レースでは2番手で追走から楽な手応えで先頭に出ると外から襲い掛かってきたマカニビスティーを退け2度目の制覇を果たし、自ら引退の花道を飾った。翌2011年1月10日付で正式に競走馬を引退。引退後はレックススタッドで種牡馬となった。2014年に産駒がデビュー。同年6月25日門別競馬第4競走・JRA認定フレッシュチャレンジで、ミトノレオが産駒初勝利をあげた。梅田ステークスは羽月友彦厩舎の管理馬初勝利、アンタレスステークスは同厩舎の管理馬重賞初勝利となっており、メモリアルな勝利に2度貢献している。
出典:wikipedia
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