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望月 (駆逐艦)

望月(もちづき)は、日本海軍の駆逐艦。睦月型駆逐艦の11番艦である。艦名は旧暦15日の月(満月)のこと。艦名は海上自衛隊のたかつき型護衛艦「もちづき」に継承された。1923年(大正12年)度計画艦。1925年(大正15年)6月25日、浦賀船渠で建造予定の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦」の艦名が与えられた。なお同日附で「第35号駆逐艦(吹雪)」、「第40号駆逐艦(東雲)」も命名されている。3隻とも一等駆逐艦に類別。「第33号駆逐艦」は1927年(昭和2年)10月31日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。1928年(昭和3年)8月1日に「第33号駆逐艦」は「望月」と改名された。1937年(昭和12年)からの支那事変により中支、南支方面に進出する。所属は第四艦隊・第五水雷戦隊・第23駆逐隊であり、本稿の写真はその時期に撮影されたものだと推測される。1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦前に第四艦隊(司令長官井上成美中将:旗艦「鹿島」)・第六水雷戦隊(司令官梶岡定道少将:旗艦「夕張」)・第30駆逐隊に編入され、同駆逐隊は睦月型4隻(睦月、如月、弥生、望月)となった。太平洋戦争開戦後、第六水雷戦隊(軽巡「夕張」、第29駆逐隊第1小隊《追風、疾風》、第30駆逐隊4隻、第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将:天龍、龍田)、輸送船2隻(金剛丸、金龍丸)等はウェーク島攻略戦に参加した。だが米軍の予期せぬ反撃により「疾風、如月」を喪失、攻略部隊は撃退された。F4Fグラマン・ワイルドキャット戦闘機の機銃掃射と爆撃により「天龍、龍田、弥生」等は戦傷者を出すが、「望月」に被害はなかった。12月21日以降の第二次攻略作戦では、南雲機動部隊より派遣された第二航空戦隊(司令官山口多聞少将:旗艦「蒼龍」)の空母2隻(蒼龍、飛龍)、重巡2隻(利根、筑摩)、第17駆逐隊(谷風、浦風)が航空支援をおこない、第六戦隊(司令官五藤存知少将:旗艦「青葉」)の重巡4隻(青葉、衣笠、加古、古鷹)が陸上支援に加わった。3日間の戦いの末、米軍は降伏した。その後も第六水雷戦隊(夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊)・第十八戦隊・第六戦隊はラバウル方面、ラエとサラモア、ブーゲンビル島、ポートモレスビーの各攻略作戦に参加した。5月上旬の珊瑚海海戦ではMO攻略部隊の一艦として行動した。5月25日、姉妹艦「菊月」の沈没にともなう第23駆逐隊除籍により、同隊構成艦だった「夕月、卯月」はそれぞれ第29駆逐隊、第30駆逐隊に編入される。30駆は定数4隻(睦月、弥生、望月、卯月)を回復した。6月以降、第30駆逐隊はガダルカナル島設営作戦や船団護衛に従事。7月上旬、「望月、弥生」は修理のため一旦日本本土へ回航された。7月10日、第六水雷戦隊は解隊される。同時に構成兵力(夕張、第29駆逐隊《夕月、追風、朝凪、夕凪》、第30駆逐隊《睦月、弥生、望月、卯月》)は「能代丸、長運丸」と共に、第二海上護衛部隊へ編入された。だが第30駆逐隊は、わずか4日で下記の第八艦隊へ編入された。7月13日、「望月」は佐世保港に帰港する。7月14日、日本海軍はミッドウェー海戦の敗北にともなう戦力の再編成を実施した。第八艦隊(司令長官三川軍一中将:旗艦「鳥海」)が新設され、これに第六戦隊(司令官五藤存知少将:青葉、加古、衣笠、古鷹)等を加えて外南洋部隊となる。第30駆逐隊は第八艦隊7番隊として所属した。8月24-25日、ガダルカナル島への日本軍増援部隊(輸送船団)を巡り日米双方の機動部隊が交戦する第二次ソロモン海戦が生起。「望月」は沈没した空母「龍驤」艦載機を救助を命じられ、不時着地点へ向かった。同海戦で空襲により軽巡「神通」が中破、30駆僚艦「睦月」と輸送船「金龍丸」が沈没、輸送船団と護衛部隊(第二水雷戦隊)もガダルカナル島揚陸を中止した。また「卯月」も輸送作戦中に被弾して作戦に投入できなくなった。9月11日、ニューギニア島ラビ方面での作戦(ラビの戦い)に従事していた「弥生、磯風」は空襲を受け、「弥生」が沈没し第30駆逐隊司令安武史郎大佐も戦死した。9月21日夜、「磯風」は「望月」と共にラバウルを出撃する。22日、2隻は友軍と協力して「弥生」のカッターボートを発見し10名を救助した。同日深夜の救出は失敗したが、25日夜に「磯風、望月」は再出撃。26日夜半ノーマンビー島到着して弥生駆逐艦長以下乗組員83名を救助した。10月1日、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定される。引続き「望月」は最前線での輸送作戦に従事した。10月5日、輸送船「愛国丸、報国丸、清澄丸」が東南アジアからソロモン諸島への陸軍輸送を実施することになり、「望月」は10月5日に船団と合流、6日ラバウルに到着した。12日、「鳥海、望月」はラバウルを出撃、13日ショートランド泊地に到着した。10月14日、前夜の第三戦隊(戦艦金剛、榛名)によるヘンダーソン基地艦砲射撃に続いて重巡「鳥海、衣笠」も同飛行場基地に対し艦砲射撃を実施、「天霧、望月」は重巡2隻を護衛した。10月16-17日、軽巡洋艦3隻(川内、由良、龍田)と水雷戦隊部隊(秋月《四水戦旗艦》、朝雲、暁、雷、村雨、夕立、春雨、五月雨、浦波、敷波、綾波、有明、白露、時雨)によるガダルカナル島輸送作戦が実施された。17日夜、軽巡戦隊はガ島エスペランス岬にて、水雷戦隊はタサファロング岬にて揚陸に成功。「鳥海、衣笠、天霧、望月」は掩護のためルンガ沖に進出し、「天霧、望月」のみ飛行場への艦砲射撃を実施した。11月上旬、「望月」は軽巡「天龍」及び第四水雷戦隊を基幹とする増援部隊と共同でガダルカナル島への輸送作戦を実施した。甲増援隊(朝雲《第四水雷戦隊旗艦》、村雨、春雨、夕立、時雨、白露、有明、夕暮、白雪、暁、雷、天龍)は11月1日22時30分に、第一攻撃隊(衣笠《増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官旗艦》、川内、天霧、初雪)と乙増援隊(満潮、敷波、綾波、望月)は23時以降にショートランドを出撃、各艦に「白雪」触礁以外の損害はなかったものの、揚陸地点で波浪のため内火艇や短艇を多数喪失、未揚陸物資を出した。「望月」は大発動艇2隻を曳航して帰投している。11月5日、甲増援隊(朝雲《旗艦》、村雨、春雨、夕立、時雨、白露、有明、夕暮、朝潮、満潮)、乙増援隊(浦波、敷波、綾波、初雪、望月、天龍)はガ島輸送を実施、米軍魚雷艇や潜水艦の襲撃をかわして全艦無事に帰投した。輸送作戦と並行して「初雪、望月」はガダルカナル島の蟻輸送(大発動艇、小発動艇部隊)基地撤収作戦にも従事した。11月7-9日、第四水雷戦隊(臨時旗艦「天龍」)麾下の乙増援部隊(指揮官第9駆逐隊司令佐藤康夫大佐:朝雲《旗艦》、村雨、夕立、春雨、時雨、白露、夕暮、朝潮、満潮、望月)はガダルカナル島輸送作戦を実施した。「朝雲、望月」は警戒艦として行動する。8日深夜、米軍魚雷艇複数隻が日本艦隊を雷撃、魚雷1本が「望月」に命中するが、不発だっため被害はなかった。11月中旬、「望月」は第三次ソロモン海戦に輸送船団護衛艦として参加。増援部隊駆逐艦(早潮《第二水雷戦隊司令官田中頼三少将旗艦》、親潮、黒潮、海風、江風、涼風、高波、巻波、長波、天霧、望月)は輸送船団11隻を護衛してガダルカナル島へ向かうが、空母「エンタープライズ」艦載機およびヘンダーソン基地航空隊やB-17重爆の反復攻撃を受ける。「望月」は沈没船から乗組員1012名を救助したのち、被弾した「佐渡丸」を「天霧」と共に護衛してショートランド泊地へ戻った。第三次ソロモン海戦は日本軍の敗北でおわり、ガダルカナル島の戦局は一挙に悪化した。「望月」は同海戦で損傷した軽巡洋艦「五十鈴」を護衛してトラックへ向かい、11月20日に到着した。12月1日、「睦月、弥生」を喪失して「望月、卯月」の2隻になっていた第30駆逐隊は解隊された。その頃、連合軍はニューギニア戦線で反撃に出ていた。11月16日にはパプアニューギニアの日本軍拠点ブナに上陸戦闘を敢行し、ブナ・ゴナの戦いが始まっている。日本海軍はガダルカナル島方面に加えてニューギニア方面でも鼠輸送(駆逐艦輸送)を実施することになった。12月12日、重巡「熊野、鈴谷」と「望月」から成る支援隊はカビエンを出撃してアドミラルティ諸島へ進出、輸送隊(風雲、荒潮、磯波、電)に対し補給を実施した。12月18日-19日、「朝潮、望月」はフォン半島先端のフインシュへ陸戦隊の揚陸を実施。帰途、爆撃を受け「望月」は戦死者40名以上を出した。12月21日の段階で、東部ニューギニア方面護衛隊麾下の駆逐艦は「望月」のみとなった。1943年(昭和18年)1月9日、駆逐艦「望月」、水雷艇「鴻」は輸送船「西阿丸」を護衛してニュージョージア島ムンダ輸送を実施した。13日、「望月」は敷設艦「津軽」と共にサンタイサベル島レカタへの輸送を実施。その際、座礁して損傷する。何度も損傷した「望月」は2月に佐世保に帰港し、修理に従事する。3月より再びラバウル方面で輸送任務に従事した。3月28-29日、「天霧、望月」は第12防空隊50名と糧食弾薬をレカタ基地へ輸送した。3月30日、卯月型3隻(三日月、望月、卯月)により第30駆逐隊が復活した。4月1日に定められた『昭和十八年度帝国海軍戦時編制』において、第11駆逐隊(初雪、天霧、夕霧)、第22駆逐隊(皐月、水無月、文月、長月)、第30駆逐隊は、南東方面艦隊・第八艦隊・第三水雷戦隊(司令官秋山輝男少将:旗艦「川内」)に所属していた。さらに「望月」はビスマルク諸島方面航空部隊(第11航空戦隊、958空水偵部隊、望月)に区分されている。しかし戦局は悪化する一方であった。4月3日にはカビエンで重巡洋艦「青葉」と駆逐艦「文月」が空襲により損傷、機雷敷設により駆逐艦「風雲」がブインで小破するなど、各方面での損害が目立ちはじめている。4月2日-3日、「雪風、天霧、望月」はサンタイサベル島・レカタ基地輸送を実施した。4月7日、「天霧、望月」でレカタ輸送を実施するがB-17重爆1機の攻撃で「天霧」が損傷した(死傷者10名)。4月29日-30日、「天霧、夕霧、望月」で呉鎮守府第七特別陸戦隊司令官勝野実少将や歩兵第23連隊230名、弾薬糧食等をレカタへ輸送した。5月3日(第二回)、5月7日(第三回)、5月10日(第四回)と、この3隻で輸送作戦を実施した。4月下旬~5月上旬の月暗期輸送はこれで終了し、次の月暗期(レカタ方面6月末、コロンバンガラ方面7月末)まで物資の集積に努める。4月下旬~5月上旬のレカタ方面における輸送総量は、進出(陸軍820名、海軍306名)と後送(陸軍507名、海軍58名)及び燃料弾薬90トン・糧食150トンであったという。5月下旬、月暗期となったため日本海軍は駆逐艦輸送を再開した。5月28日と5月31日、「望月、天霧」はブイン~レカタ輸送(二回の合計佐七特陸戦隊464名、物件220トン、燃料120缶)を実施した。6月4日-5日、「天霧、望月、皐月」はラバウル~ツルブ輸送を実施。6月6日-7日、「長月、望月」によるツルブ輸送を実施。並行して潜水艦による『モグラ輸送』が行われた。6月27日-28日、「望月、皐月、夕凪」によるコロンバンガラ島輸送(陸兵900名、物資100トン)を実施した。直後の6月30日、米軍はレンドバ島に上陸、ニュージョージア島の戦いがはじまる。外南洋部隊水上部隊指揮官秋山輝男第三水雷戦隊司令官は、司令官直率部隊(秋月型駆逐艦/旗艦新月、望月、皐月、夕凪)、先行部隊(天霧、初雪、長月、水無月、三日月)を指揮してラバウルやブインから出撃、レンドバ島西方海面に到達したが米艦隊と遭遇しなかった。7月2日夜、秋山司令官は直率隊(新月《旗艦》、天霧、初雪、長月、皐月、望月)と陽動隊(軽巡夕張、駆逐艦《夕凪、三日月》)を率いてレンドバ島沖合に突入した。だが米艦隊は出現せず、日付変更後に米軍魚雷艇と米軍機夜間空襲を受け、魚雷艇2隻を撃沈して撤収した。その頃、米軍はニュージョージア島へ上陸を開始、日本軍はコロンバンガラ島への緊急輸送を企図する。第一回輸送部隊(第22駆逐隊司令金岡国三大佐:第22駆逐隊《長月、皐月》、新月、夕凪)と第二回輸送部隊(第11駆逐隊《天霧、初雪》、第30駆逐隊《望月、三日月》)が編制されてブインを出撃するが、第一回輸送隊は米艦隊(巡洋艦4、駆逐艦4)と遭遇し駆逐艦1隻を撃沈、だが輸送作戦そのものは中止に至った。7月5日、南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は増援部隊全力によるコロンバンガラ島輸送を命じ、秋山三水戦司令官は新たに陽炎型駆逐艦2隻(浜風、谷風)と白露型駆逐艦1隻(涼風)を編制に加える。秋山少将直率隊(新月、涼風、谷風)、第一次輸送隊(望月、三日月、浜風)、第二次輸送隊(天霧、初雪、長月、皐月)という部署であった。同日夕刻、第三水雷戦隊はショートランド泊地を出撃、コロンバンガラ島到着直前の2348よりウォルデン・L・エインズワース少将率いる米艦隊(巡洋艦3、駆逐艦4)との夜間水上戦闘が勃発する(クラ湾夜戦)。「新月、涼風、谷風、天霧、初雪」が砲戦魚雷戦を展開する中、「望月」は大発動艇の曳索をスクリューに巻き込む事故を起こし、「浜風、三日月」から遅れてしまう。7月6日午前3時、揚陸を終えた「望月」は単艦で帰途につくが、4時10分に米艦隊から砲撃を受け小破、魚雷1本を発射して戦場を離脱した。本海戦で「新月」が沈没、「長月」が座礁放棄。とくに「新月」沈没により全乗組員と秋山少将以下第三水雷戦隊司令部は総員戦死。他の駆逐艦も損傷した。米軍は軽巡「ヘレナ」が沈没した。損傷した「初雪、望月」はラバウルへ後退し、15日まで応急修理を実施している。増援部隊(第三水雷戦隊)は一時的に司令官不在となったため、重巡洋艦「鳥海」艦長有賀幸作大佐が代理に指揮をとる。7月7日、伊集院松治大佐(前職戦艦金剛艦長)が第三水雷戦隊司令官に任命され、10日に着任した。しかし前述のように三水戦は参謀や司令部要員ごと全滅しており、そこで第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将(旗艦「神通」)が増援部隊の指揮を執ることになった。ところが7月12日夜のコロンバンガラ島沖海戦で「神通」は沈没し伊崎司令官および第二水雷戦隊司令部も全滅。第七戦隊司令官西村祥治少将が当面の指揮を執ることになった。一連のクラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦で日本軍は米軍水上部隊に大打撃を与えたと判断し、コロンバンガラ島方面での敵艦隊撃滅と輸送作戦を行う計画をたてる。第七戦隊司令官西村少将を指揮官とし、主隊(熊野、鈴谷)、水雷戦隊(川内、皐月、水無月、雪風、浜風、清波、夕暮)、輸送隊(三日月、夕凪、松風)という戦力が集結、16日2200にラバウルを進出してブインへむかった。「初雪、望月」は西村艦隊に先行して16日夕刻にラバウルを出撃、17日午前5時にブインへ入港。「初雪」は「水無月」に、「望月」は「皐月」に横付けして物件・重油の移載をおこなう。7月17日朝、ブインは大型爆撃機19、戦爆約150機の大空襲を受ける。被弾した「初雪」は沈没、「皐月、水無月」が小破、翌日にも空襲を受け「望月」が小破した。これを受けて西村艦隊は一旦ラバウルへ帰投、戦力を再編したのち18日に再出撃した。19日-20日、輸送作戦には成功したものの、夜間空襲により重巡「熊野」小破、駆逐艦「清波、夕暮」沈没という損害を受けて戦果はなかった。増援部隊艦艇は一時ラバウルに後退し、修理をおこなう。「望月」修理中の7月27日、第30駆逐隊「三日月」及び第27駆逐隊「有明」はツルブ輸送を実施中に座礁して行動不能となり、28日の空襲で沈没した。第30駆逐隊は「卯月、望月」の2隻となった。29日、「望月、皐月」の応急修理が完成する。2隻はトラック泊地へ向かう重巡「熊野」を護衛してラバウルを後にした。その後「望月」はサイパンを経由して8月15日に佐世保へ到着、佐世保海軍工廠で修理する。この頃の第三水雷戦隊は、「夕霧」は横須賀で、「皐月、水無月」は呉で、「望月、文月、卯月」は佐世保で修理に従事しており、最前線に配置されていたのは「川内、天霧」だけだった。「望月」は9月21日に佐世保を出撃、トラック泊地を経由して29日にラバウルへ到着した。10月1日のコロンバンガラ島撤退作戦に参加したとみられる。米軍が攻勢を強める中、第三水雷戦隊を基幹とする襲撃部隊はニューブリテン島各部、ニューギニア方面、北部ソロモン諸島方面への輸送作戦を続けた。10月7日-8日、「天霧、望月、皐月」はスルミ輸送を実施した。21日-22日、「天霧、望月」はブカ島輸送を実施した。23日、「望月」は「卯月」と共にニューブリテン島ジャキノット輸送のためラバウル(ニューブリテン島北部)を出撃した。だが米軍機の空襲を受け「望月」は沈没した。経緯は以下のとおり。10月23日、ジャキノットに米軍上陸との報告があり、南東方面艦隊はビスマルク諸島方面防備部隊指揮官に艦艇・航空部隊の出撃準備を命じた。だが午前7時に攻撃準備を解除し、あらたに駆逐艦2隻によるジャキノット輸送を下令した。第30駆逐隊司令沢村成二大佐は「望月」に座乗、同隊「望月、卯月」は陸戦隊約100名を輸送すべく同日16時15分にラバウルを出撃した。24日0020ジャキノットで揚陸中、空襲を受けた「望月」は被弾して沈没。戦死者10名。米軍記録による沈没地点 。「卯月」は揚陸を断念し、望月生存者を救助してラバウルへ避退した。救援のため派遣された「天霧」と合流した「卯月」はラバウルへ帰投した。駆逐艦「望月」は1944年(昭和19年)1月5日附で卯月型駆逐艦、帝国駆逐艦籍、第30駆逐隊のそれぞれから除籍された。

出典:wikipedia

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