ゴシック・ロック(ゴスロック、ゴス)は、1970年代に誕生した、ポストパンクやオルタナティヴ・ロックのサブジャンルの一つである。暗いテーマと、ゴシック・ホラーやロマンチシズム、実存主義哲学やニヒリズムといった知的なものを扱う。ゴシック・ロックによって、ゴス文化は、ゴス・クラブやゴシック・ファッション、ゴス専門雑誌などの発展を見せた。初期のゴシック・ロックバンドの多くはイギリス出身だが、(ロサンゼルス)、(アイルランド)、(ドイツ)、:Pink Turns Blue(ドイツ)などイギリス出身以外のバンドも存在する。ゴシック・ロックは、パンク・ロックやポスト・パンク、ニューウェイヴから派生していった。ゴスという単語がシーンをあらわすのに使われ始めたのは、1983年になってからである。1970年代後半や1980年代のいくつかのゴシック・ロックバンドは、自分でレーベルを持ち、インディーズからCDを発表していった(例:ベガーズ・バンケット・レコード)。1979年にゴシックと呼ばれたポスト・パンクのグループは、ジョイ・ディヴィジョンとスージー・アンド・ザ・バンシーズだった。 スージー・アンド・ザ・バンシーズのデビューアルバム『香港庭園』から『ノクターン』までの作品や、イアン・カーティスの自殺によって短命に終わったジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャーズ』、『クローサー』はゴス・シーンに影響を与えた。また、バウハウス(当初バウハウス1919と呼ばれていた)やザ・キュアー、キリング・ジョーク、パブリック・イメージ・リミテッドもまたゴス・シーンに影響を与えた。バウハウスは当初、無地のジーパンにTシャツといったファッションだったが、と同じ番組に出演してからは、イメージチェンジを行い、最終的には黒ずくめにメーキャップといういでたちとなっていった。デヴィッド・ボウイやT・レックスといったイギリスのグラム・ロックに影響されたバウハウスのデビューシングル「Bela Lugosi's Dead」は、本格的なゴシック・ロックの幕開けと呼ぶにふさわしい作品となっている。スージー・アンド・ザ・バンシーズやザ・キュアーなどのバンドは後に音楽スタイルを変化させていったがバウハウスは1983年の解散まで、ステージパフォーマンスや音楽スタイルにおいて、ゴシックを貫いた。ダムドのリードボーカルであるデイヴ・ヴァニアンは、ザ・キュアーやスージー・アンド・ザ・バンシーズ、バウハウスにファッション面で影響を与えた。1970年代後半に結成されたは、1980年代に入って頭角を現しつつあるゴス・シーンに影響を与えた。また1980年から1981年にかけて、や、、、シスターズ・オブ・マーシー、が結成。1982年までに、、(後の)、や、そしての出現によって、ゴシック・ロックはより幅広いサブカルチャーになった。1983年にリリースされたSex Gang Childrenのファーストアルバム『Song and Legend』は、ポジティヴ・パンクと呼ばれイギリスのインディー・チャートで1位を獲得した。ロンドンにあるSpecimenが主催するは、イベントなどの開催場所を与えることでゴス・シーンに貢献した。ゴシック・ロックバンドのメンバーやその取り巻き、及びファンはBatcaveに集まり、ゴス・クラブのプロトタイプをつくっていった。1983年までイギリスの雑誌はBatcaveや他の類似する会場をとりあげ、ゴシック・ロックシーンを紹介した。バウハウスやChristian Deathが自分たちの国でバンドを結成させていたその頃、、Xmal Deutschland、Leningrad Sandwich、Malaria!、、、といったバンドがドイツで結成されていった。また毎年、ドイツのライプツィヒではダーク・ウェイヴ&ゴシック・フェスティバルである、が開催された。オーストラリアでは、ニック・ケイヴのザ・バースデイ・パーティ(1979年になって活動拠点をロンドンに移転)がゴス・シーンに影響を与えた。日本では現地のパンクシーンを体験しようと渡英し、バウハウス等のゴシックロック勢に衝撃を受けた元MARIA023のジュネが結成したオート・モッドがいわゆる日本のゴシック・ロックの始祖となった。オート・モッドは布袋寅泰等のメンバーを擁しながら1985年まで活動をした。また、彼らのシリーズギグ「時の葬列」においてはG-SCHMITT、Madame Edwarda、SADIE SADSなどが知られている。他方トランス・レコードにおけるASYLUMやSODOM、Z.O.Aのほか、PHAIDIA(RUINSの吉田達也在籍)などのバンドが活動した。第2世代のゴスの波の中で、そのゴスという単語とスタイルがThe FaceやNMEといったイギリスの主要紙に注目されるようになっていった。またゴシック・ロックはよってゴス・サブカルチャーも広まっていった。1980年代を通して、ヨーロッパのゴス文化とデスロック・ムーブメントと、ニューロマンティックとの融合がしばしばあった。1980年代のオルタナティブ・ロックの幕開けは、ゴシック・ロックの幕開けをも意味し、将来を期待されていたミュージシャンにシスターズ・オブ・マーシー、、が脱退した新生Christian Death、元シスターズ・オブ・マーシーの率いる、、そしてChristian Deathの作曲とギターを以前担当していたBarry Galvin(通称・Bari-Bari)などがいた。シスターズ・オブ・マーシーのデビュー・アルバム『First and Last and Always』はイギリスの音楽チャートトップ10に入りを果たした。、デッド・カン・ダンス、コクトー・ツインズといった4ADレコードのミュージシャンの楽曲は、イギリスの大学やラジオ局でオンエアされた。デペッシュ・モードが体現した、ゴスとポップとインダストリアルの融合とシンセサイザーを使用した楽曲は、、 、 やといったシンセポップのミュージシャンに影響を与え、ついにゴシック・ミュージックはクラブ・ミュージックとつながりを持ち、シンセポップ感がゴシック・ロックの中に現れ出した。1990年代に入っても、イギリスからは、、やといった新人バンドが現れ、 、、やも活動を開始した。ドイツでは、Apocalyptic Vision、Apollyon Rekordings、Deathwish Office、Dion Fortune、Glasnost Records、、Sounds Of DelightやTalitha Recordsといったレコード会社が、、、やといったバンドの楽曲を収録したゴシック・ロックのコンピレーションアルバムをリリースした。1990年代半ばから後半にかけて、大手レコード会社(特にアメリカやドイツ)では、‘ゴシック・バンド’や‘インダストリアル・バンド’として、マリリン・マンソン、エヴァネッセンスやウィズイン・テンプテーションといった実際はゴシック・ロックのミュージシャンとして活動していないハードロックやヘヴィメタルの人気バンドを扱いだした。またアメリカのマスコミはゴス文化とコロンバイン高校銃乱射事件に関連性があると指摘し中傷した。 2000年に入ってから、一部のゴス・ロックファンが1980年代の第1世代のファッションや音楽をとりあげ、リバイバル・ムーブメントに参加するようになる。Cinema Strange、QuidamやといったDeathrock.comというウェブサイトに関係するバンドは第1世代のゴシック・ロックのスタイルへの回帰に貢献し、ニーナ・ハーゲンは2005年にニューヨーク市で行われたで大々的に活躍した。チェリーレッド・レコードがヨーロッパで初期のゴス・ロックのCDを再発している一方、や、はアメリカの市場でゴス・ロックの楽曲を発表し、新たなゴシック・ミュージックがといったヨーロッパのレコード会社からリリースされている。このように、2011年現在はゴシック・メタルやオルタナティヴ・メタルとの交わりで本来の意味合いが失われつつあったゴシック・ロックであったが、ザ・ホラーズの登場により、再評価が成され始めている。他にもアリエル・ピンクズ・ハウンテッド・グラフィティやセレナ・マニッシュなど第一世代のゴシック・ロックに影響を受けたアーティストが登場しつつある。マイナー・キーや暗い曲調が一般的だが、メジャー・キーも使われている。クリーン系や、暖かなオーバードライブのかかったギターサウンドはコーラスやフランジャー、アナログを用いたディレイによって生み出された。また、ゴシック・ロックにおけるエレキ・ギターの音は個性的な奏法になっている。この奏法は、パンク・ロックにおけるダウンストロークからきていて、濃厚な和音の代わりに、尖ったメロディーラインを強調するのに役立っている。ポジティヴ・パンク御三家
出典:wikipedia
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