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TURBΦ (キックボクサー)

TURBΦ(ターボ、1980年12月5日 - )は、日本の男性キックボクサー。本名は長塚 崇(ながつか たかし)。茨城県水海道市(現・常総市)出身。初代WMAF世界スーパーフェザー級王者。かつてはTURBOというリングネームを使っていた。キックボクシングを始める前は、中学でサッカーを3年間、高校で陸上競技を1年間のスポーツ経験しかなかった。1999年の冬にTEAM O.Jに加入。高校卒業の直前だった。TEAM O.Jは、元キックボクサーの青木弘行が1998年に主宰した練習チームである。グローブ空手でアマチュアのキャリアを積み、入会後1年半でアジア太平洋キックボクシング連盟(APKF)でプロデビューする。この時は本名だった。デビュー戦は、2000年10月15日に神奈川県横浜平沼記念体育館のAPKF・K-U合同興行「THE SUPER KICK M-116 〜育成シリーズ〜」で行われ、山上雅智(K-Uフライ級)と対戦。3R判定3-0で、デビュー戦を白星で飾った。2001年1月26日の2戦目からリングネームを「TURBO」に変更した。2001年10月13日、東京・後楽園ホールで行われた日本キックボクシング連盟(NKF)主催「2001激動シリーズ」の、「NKB統一ランキング決定トーナメント」のフェザー級予選1回戦に出場。この時、トーナメントの優勝は頭に無く、憧れだった楠本勝也と対戦することが目標だった。児玉正暁(日本キックボクシング連盟フェザー級)と対戦し、5R判定2-0で勝利した。ポイントが1点差という薄氷の勝利だった。12月2日にNKF主催「2001激動シリーズ」で行われたNKBフェザー級トーナメント2回戦で松本浩幸と対戦。5R判定3-0で勝利した。2002年2月23日、NKF主催「2002破壊シリーズ」で行われたNKBフェザー級トーナメント3回戦で楠本勝也(NJKF同級1位)と対戦。5RにTURBOの縦肘が楠本の頭部に当たり流血。それを機にTURBOはラッシュをしかけ5Rをものにした。5Rを優勢に進めたことが評価され、5R3-0(全員1ポイント差)で勝利した。7月21日にAPKF主催の興行に凱旋。NKBフェザー級トーナメント準決勝で伊藤陽二を5R判定3-0で下した。1R終盤に伊藤の右フックでダウンを奪われるが、2Rに右ストレートでダウンを奪い返した。9月8日にニュージャパンキックボクシング連盟主催「DREAM RUSH 6」のNKBフェザー級トーナメント決勝戦に出場。桜井洋平と対戦。1R終了間際に桜井の右ハイキックでダウンを奪われる。その後決定打を掴めず、5R判定0-3(全員3点差)で敗れた。プロ10戦目での初黒星となった。2003年11月23日、東京・ディファ有明で行われたAPKF主催「THE SUPER KICK M-126」のNKBフェザー級王者決定戦に出場。TURBOは同級1位ランクされており、難波博志(同級5位)と対戦。5R判定3-0で勝利し、第2代NKBフェザー級王者になった。点差が3、4点という大差の勝利だった。2004年7月19日、東京・ディファ有明で行われたAPKF主催「THE SUPER KICK M-128」に出場。馳大輔(同級6位)を5R判定3-0で下した。試合後、他団体の強豪たちと戦いたいという理由から、王座返上とNKBからの戦線離脱を表明した。これを機に、リングネームを「TURBΦ」に変更した。NKB離脱については、自身の所属するTeam O.Jの会長・青木弘行、APKFの理事長・南樹三生に事前に相談し了承を得ていた。所属は、知り合いだったHAYATOの所属する「FUTURE_TRIBE」と、TURBOが練習を行う「TEAM O.J」を合わせた、「FUTURE_TRIBE ver. O.J」となった。HAYATOとの接点もあり、主戦場をIKUSAに移した。2006年7月22日、NJKF主催「キックボクシング 真王杯 55kg・60kg オープントーナメント(ADVANCE VII 〜前進〜)」の1回戦に出場。桜井洋平(NJKFライト級王者)と再戦。1Rに桜井の左フックを受けダウンを喫すると、さらに右肘打ちによる額のカットでドクターストップがかかり、1R1:19TKOで敗退。リベンジに失敗した。ドクターチェック中の桜井側のセコンドがリング内に侵入したため、桜井に減点1が与えられた。2007年5月13日、東京のディファ有明で行われたマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催「BREAKDOWN 4」のWMAF世界スーパーフェザー級初代王者決定戦に出場。アトム山田(日本/MA日本スーパーフェザー級王者)と対戦し、左肘打ちで左まぶたをカットし、ドクターストップによる2R1:54TKOで勝利した。自身初の世界王座を獲得した。2007年6月17日、東京のディファ有明で行われた「INNER WARP presents R.I.S.E. FLASH to CRUSH TOURNAMENT '07」に出場。1回戦で大嶋茂樹を左ハイキックで1R2:12KOで下し、準決勝でオノリュウと対戦。2Rに右フックで最初のダウンを奪うと、3Rに左ハイキックで2度目のダウンを奪い3R判定3-0で勝利し、決勝戦で末広智明と対戦。2Rに右ストレートでダウンを奪い、3R判定3-0で優勝した。世界チャンピォン誕生祝賀会で開催されたチャリティーオークション売上金より、翌6月26日に守谷市に対し、福祉のため、15万円の寄付、未明につくばみらい市にも福祉のための寄付を行った。2008年4月29日、MA日本主催「BREAK THROUGH-3 〜突破口〜」のWMAF世界スーパーフェザー級タイトルマッチで久保優太(日本/挑戦者)と対戦し、5R判定1-1で引き分けになり、初防衛に成功した。2008年7月27日、NJKFスーパーフェザー級王座決定トーナメント準決勝で中須賀芳徳と対戦予定であったが、靭帯断裂により欠場した。2008年12月21日、MA日本主催「BREAK THROUGH-8 〜突破口〜」のWMAF世界スーパーフェザー級タイトルマッチで"狂拳"竹内裕二(日本/挑戦者)と対戦し、5R判定0-2で敗北。2度目の防衛に失敗した。2009年1月18日、ムエローク Japan 2009でウティデート・ルークプラバートと対戦予定であったが、欠場となった。2009年7月26日、RISE60kg級タイトルマッチで王者板橋寛と対戦し、判定負けで王座獲得ならず。2009年8月14日、Krushライト級グランプリ2009に出場。1回戦で石川直生と対戦し、右ハイキックでKO負け。2010年7月31日、RISE 68で吉本光志と対戦し、右ショートストレートでKO負けを喫した。2010年9月26日、WBCムエタイルール日本統一スーパーフェザー級王座決定戦で中須賀芳徳と対戦し、1-2の判定負けで王座獲得ならず。2010年12月12日の「Krush初代王座決定トーナメント 〜Round.1〜」で開幕した60kgトーナメントに出場予定であったが、腎盂腎炎により欠場となった。2011年2月5日、谷山ジム主催「ビッグバン・統一への道 其の四」で秋元皓貴と対戦し、右跳び膝蹴りによるKO負けを喫した。2011年8月14日、「Krush.11」で元J-NETWORKライト級暫定王者青津潤平と対戦し延長Rの末1-2の判定負けを喫した。2戦

出典:wikipedia

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