高雄海軍航空隊(たかおかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。木更津海軍航空隊・鹿屋海軍航空隊に続く3番目の陸上攻撃機部隊として、日華事変中盤から太平洋戦争後期にかけて爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)10月1日に第七五三海軍航空隊(だい753かいぐんこうくうたい)と改称した。1944年(昭和19年)7月に解隊。なお、高雄空の原隊である台湾高雄飛行場には、練成航空隊として高雄海軍航空隊(二代)と第二高雄海軍航空隊が設置されたので、本稿にて合わせて述べる。かつて北海事件の際に、海軍は陸軍屏東飛行場を間借りし、日華事変勃発後の渡洋爆撃の際には台中飛行場を活用したが、台湾を基地とする陸上攻撃機隊の設置を急いだ。そこで開かれたのが第三の陸攻隊である高雄空である。開隊直後に実戦投入され、華南方面の戦略攻撃に用いられた。太平洋戦争中はもっぱら東インドネシアに常駐し、オーストラリアの要衝ダーウィンへの遠距離爆撃に従事した。本隊をラバウルに移動していない数少ない陸攻隊でもある。 以後、1月24日までにニコルス飛行場・イロイロ飛行場・マニラ湾停泊船舶・コレヒドール要塞を渡洋爆撃。 ダーウィンへの爆撃を開始するが、連合軍の反撃によりクーパン進出を断念。 本隊はケンダリ・クーパンに残留し、哨戒に従事。内南洋の空襲を幸運にもかわした七五三空だが、ニューギニア戦線での消耗が激しく、フィリピン戦線への転進もままならない状況に陥っていた。解散後は乙飛行隊の濠北海軍航空隊地上要員に取り込まれたが、濠北空も終戦まで持たず、1945年(昭和20年)5月に解散している。多数の飛行練習生の練成を図るために増設された中間・慣熟練航空隊のひとつで、初代高雄空が番号に切り替わったのと入れ替わりに編成された。練習航空隊ではあったが、教材の零式艦上戦闘機や九六式陸上攻撃機を用いた台湾周辺の対潜哨戒任務も兼任していた。高雄空を補完するために開かれた初歩・中間練習航空隊。二代目高雄空以上に練習に特化した部隊で、当初より戦力外であった。
出典:wikipedia
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