フェラーリ 641 (Ferrari 641) は、スクーデリア・フェラーリが1990年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。1990年の開幕戦から、第3戦まで実戦投入された。第3戦以降投入された、改良型の641/2についても本記事で述べる。641は、1989年に使用された640の正常進化バージョンである。基本デザインは前年の640と同じジョン・バーナードによるものだが、1990年初頭にバーナードはベネトンに移籍してしまったため、その後はエンリケ・スカラブローニや、同年にアラン・プロストと共にマクラーレンから移籍してきたスティーブ・ニコルズらの手によって改良が進められた。フェラーリによって640で初採用されたセミオートマチックトランスミッションはネックとなっていた信頼性を改善し、一度の操作で複数段シフトダウンできるプログラムも開発された。エンジンは公表値で60馬力もパワーアップ。ドライバー頭上のエアインテークが拡大され、内部にロールバーが見える形状となった。また、レギュレーション改訂に沿い、シャーシ側面の燃料タンクの寸法が短くなった。この変更は、前年のサンマリノGPでのゲルハルト・ベルガーの炎上事故を受けて行われたものである。コクピット後方の主燃料タンクを拡大したためモノコックが30mm延長されたが、ギアボックスを縮めたためホイールベースの長さは640と変わっていない。第3戦サンマリノGPからはスカラブローニ・ニコルズらの手によるマイナーチェンジが行われた641/2が登場。ただ、前年の640(前期型・後期型)のような外観上のはっきりとした違いはほとんど見られない。空力面の改良を中心に、サイドポンツーン前端やノーズが丸みを帯びたこと、ラジエーター排熱口の形状と位置を変更したこと、リヤサスペンションやディフューザーを若干変更したことなどで、それ以外はマシンの信頼性や整備性をアップさせるものだった。第5戦カナダGPよりフロントウィング翼端板に筒状のパーツを追加し、通過する空気に渦を発生させて、前輪後方で発生する乱気流を制御した。この「ボーテックスジェネレーター」は他チームでも採用され、1994年に禁止されるまで流行することになる。中盤戦からは出力向上型のTipo 037エンジンが登場。予選用として第7戦(プロストは第8戦)から投入され、第10戦から決勝でも使用された。ホンダエンジンに対抗するため、アジップと協力して特殊な成分の燃料も開発している。予選では空気抵抗を減らすためサイドポンツーンのラジエーター排熱口を塞いだり、リアデッキのオイルクーラーを外したタイムアタック仕様を試みている。翌年型642は残存燃料により挙動が大きく変わる点が注目されたが、この難点は641の頃からすでにあった事が後のアラン・プロストのインタビューから明らかになっている。641が実戦に登場したのは2戦(プロストは3戦)のみと極めて短命であったことから、641と641/2を区別せずに「フェラーリ F190」と総称する場合もある(特にミニカーなどのモデル業界に多い)。序盤戦は信頼性不足で精彩を欠いたが、第6戦メキシコGPでワンツーフィニッシュを果たすと、そこからアラン・プロストが3連勝を達成。長く重いV12エンジンを搭載しているにも関わらず、優れたハンドリング性能を発揮した。16戦中6勝を記録し、アイルトン・セナ、ゲルハルト・ベルガーの2人が駆るマクラーレン・MP4/5Bと伍して戦い、プロストとフェラーリをワールドチャンピオンまであと1歩というところまで押し上げた。フェラーリは1991年に向けてティレルのジャン・アレジを獲得したが、ウィリアムズからアレジの仮契約を買い取るため、641/2の1台(プロスト車)を贈呈した。機密情報が絡むためデリバリーは数年後になったが、ライバルチーム同士でマシンを取引するのは珍しい出来事だった。このマシンはウィリアムズのコレクションホールに展示されていたが、施設が手狭になったためコレクターへ売却された。また、別の641/2の1台(プロスト車)は、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) のコレクションとして常設展示されている。
出典:wikipedia
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