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BAe シーハリアー

BAe シーハリアー()は、世界初のSTOVL攻撃機ハリアーをベースにしたSTOVL艦上機。開発国のイギリス、唯一の輸出国インド共に現在は全機退役している。世界初の実用STOVL攻撃機であったハリアーは、航続距離や兵装搭載量で通常型の実用機に劣る点が多かったものの、一定の評価を獲得しており、イギリス海軍もハリアーの性能に興味を示していたことから、1969年に独自に艦載機型の研究に着手した。また、ホーカー・シドレー社でも1971年から、ハリアー GR.3をベースに最小限の改修でイギリス海軍の戦闘/攻撃/偵察機要求に見合う機体についての研究を始めていた。その研究の中でハリアー GR.1を実際に艦船に乗せての運用試験も行っており、このテストでハリアーは満足のいく成果を収め、1972年11月にはイギリス海軍がホーカー・シドレー社に正式に研究契約を与え、マリタイム・ハリアーとして本格的に研究を進めることとなった。なお、マリタイム・ハリアーは、開発契約が与えられるとシーハリアーへ名称変更されている。当時イギリス海軍では正規空母の退役が決まっており、海軍の航空戦力を維持するか否かが問題であった。シーハリアーの調達は1973年から始まると見られていたが、イギリス政府の財政危機とそれに伴う政権交代があったため承認は遅れ、さらには計画自体がキャンセルされるとの見方が強まっていた。議論を重ねた結果、1975年5月15日にシーハリアーを導入し、海軍航空戦力の維持が決定された。ただ、開発費を抑えるために試作機の開発は認められず、最初から量産機を生産することとされた。1977年にはホーカー・シドレー社がブリティッシュ・エアロスペース(BAe)に統合されたため、途中から量産をBAeが受け持つこととなった。シーハリアー FRS.1初号機は1978年8月20日に初飛行し、1979年6月18日からイギリス海軍への引き渡しが開始され、まず、第700A飛行隊により集中試験が行われた。10月24日には空母「ハーミーズ」により初の航海も実施された。パイロットの転換訓練には空軍向けの複座型ハリアーが使われ、空軍からハリアー T.4/4Aを貸与されたほか、海軍向けにハリアー T.4Nが新たに3機製造された。これらの訓練機にはレーダーが装備されていないため、レーダー操作訓練にはシーハリアー FRS.1と同じレーダーを装備したハンター T.8Mを使用した。イギリス海軍ではシーハリアー運用のため、空母にスキージャンプ甲板を装備し、シーハリアーが回転式のエンジン排気口を使って短距離離陸(STO)を行う際に離陸滑走面を次第に上向きにすることで追加揚力を稼ぎ、ペイロードを増大させている。1980年代中期になると、シーハリアー FRS.1の能力向上改修が求められるようになり、1985年1月にイギリス国防省はBAe社(現BAEシステムズ)に対してシーハリアーの能力向上改修計画を確定するための作業契約を与えた。シーハリアー FA.2試作機は、シーハリアー FRS.1から2機が改造されて開発され、試作初号機が1988年9月19日、試作2号機が1989年3月8日にそれぞれ初飛行した。これに続いて29機の量産改修が発注され、1990年3月には新造機10機、1994年にも新造機18機と改修5機の契約が与えられた。量産改修機のイギリス海軍への引き渡しは1993年4月2日から開始された。1994年8月24日には第899飛行隊で軽空母「インヴィンシブル」を使っての初の航海が実施され、8月29日にはボスニアでの監視活動に投入されている。シーハリアー FA.2は「インヴィンシブル」「イラストリアス」「アーク・ロイヤル」の3空母へ配備され、1995年1月26日に「イラストリアス」が最初のシーハリアー FA.2完全配備を達成した。これに伴い、ハリアー T.4Nもシーハリアー FA.2のシステムに対応したハリアー T.8に改造されている。なお、シーハリアー FA.2には開発当初FRS.2の型名が与えられたが、1994年5月に偵察任務から外されたことでF/A.2となり、F/A-18と同じというクレームが来たことでFA.2と再び変更されている。インド海軍では1978年12月に空母「ヴィクラント」および「ヴィラート」の艦上機として採用を決定、1983年から23機のシーハリアー FRS.51が調達された。後にインド海軍は、保有するシーハリアー FRS.51の近代化改修を2000年代から実施しており、レーダーをイスラエル製のEL/M-2032に換装、これによりラファエル社のダービー空対空ミサイルが携行可能となった。ヴィラートが退役する2012年頃まで運用を続けるとみられていたが、当艦の退役先延ばしにより退役は2016年5月となった。なお、インド海軍では戦力維持のため、イギリス海軍から退役した8機のシーハリアー FA.2調達を希望したが実現しなかった。1999年、イギリス国防省はジョイントフォース2000計画を発表、空軍/海軍航空部隊の統合運用を開始した。シーハリアーもハリアー統合軍に統合され、空軍隷下の所属となったが、2002年2月にシーハリアーの早期退役が決定され、後継機のF-35B ライトニングII統合打撃戦闘機導入を待つことなく、2006年3月までにシーハリアー FA.2は全機が退役した。F-35B ライトニングII配備までの繋ぎとしてイギリス海軍は、イギリス空軍のハリアー GR.7/9を必要に応じて運用し、第800飛行隊と第801飛行隊がその運用任務を付与されていたが、それも2011年に退役した。海上自衛隊では、56中業(1983年-1985年)に盛り込まれる予定だった満載排水量20,000tの洋上防空用空母CVV(またはDDV)に搭載する要撃機(高速哨戒機)として導入が計画されていたが、ソ連のTu-22M バックファイア中距離爆撃機に対して能力上対応できないという理由により計画は頓挫した(元統合幕僚長佐久間一の後年の証言による)。1978年にイギリス産業界への支援と香港の将来も含めた対中関係の状況改善を目的に売却を計画していたが、1970年代当時の中国の財政状況では高価だったため、導入を見送った。シーハリアー FRS.1は、1982年に勃発したフォークランド紛争で初の実戦を経験した。当時出撃できる空母は「インヴィンシブル」と「ハーミーズ」のみ、搭載するシーハリアーも2隻合わせて20機のみだったため、イギリス海軍は急遽予備機を集めて第809飛行隊を編成し両空母に合流させたものの、それでも8機の追加がやっとだった。このように少数での運用を余儀なくされたにも関わらず、整備が容易かつ悪天候でも運用可能だったことから稼働率は非常に高かった。戦いが始まると、空対空戦闘では23機を撃墜、被撃墜は0機とアルゼンチン空軍を圧倒し、「黒死病」と呼ばれて恐れられた。しかし、空対地攻撃では地対空ミサイルと対空砲火で1機ずつ撃墜され、戦闘外の事故でも空中衝突で2機、空母発艦時に2機を失っている。当事者双方が大きな制約のもとに戦ったため、この戦績をどう評価するかはやや難しい問題である。イギリス軍は、アルゼンチン海軍の保有するシュペルエタンダールとエグゾセ対艦ミサイルの組み合わせによる対艦攻撃の脅威に対し、有効な早期警戒の手段を持たなかったため、空母を後方に下げ、元から燃料消費の激しいシーハリアーに長時間の滞空哨戒をさせなければならず、シーハリアーが実際に空戦に臨む際には燃料の残量に大きな制約を抱えざるを得なかった。アルゼンチン軍もまた、アルゼンチン本土から長距離出撃せねばならないことから滞空時間に制約を抱えた上に、バルカン爆撃機による本土爆撃を恐れて主力戦闘機ミラージュIIIを温存していたため、A-4 スカイホークやダガーといった攻撃機は護衛なしでの攻撃を余儀なくされた。また、有効な対艦攻撃兵器であるエグゾセを5発しか保有していなかったため、大半は無誘導爆弾で攻撃せざるを得ず、最大速度M2のダガーであっても超音速の出せない低空からイギリス艦隊への肉薄攻撃を強いられ、これがさらに積極的空戦の機会を奪った。後半の戦いではシーハリアーに襲われると反撃せず逃走一方だったとされ、後に加わったミラージュIIIもシーハリアーを引き付ける役割に徹し、積極的空戦は行わなかったと伝えられている。イギリス海軍が導入したばかりだった新型空対空ミサイルAIM-9L サイドワインダー(航空機の正面からでも攻撃できる)の性能によるものとする評価もあるが、機体の能力とパイロットの技量もまた、正当にこの勝利に寄与した、とするのがまず妥当な評価だと考えてよいだろう。事実、第809飛行隊に集められた新参パイロットは、フランスが提供したミラージュIIIとの模擬空中戦を行ったが著しい成果を出せず、海軍首脳部を心配させたという。開戦前、空戦時にエンジンノズルの向きを変える「前進飛行中の(推力)偏向(Vectoring In Forward Flight:VIFF)」は、通常の戦闘機ではあり得ない機動が可能であり、攻撃回避に大きなアドバンテージになると言われていた。一方で、このような強引な機動は機体やパイロットに無理な負荷をかける、速度が急激に低下することになり後の戦闘で著しく不利になる、などのデメリットもあり、一時的な効果しかなかったとも言われている。フォークランド紛争以前、訓練の時点でデメリットの大きさが知られていたこと、空中戦でハリアー/シーハリアーが追われる立場に立たなかったこと、地対空ミサイルの回避には適切でないことなどから、紛争においてこの機動は行われなかったと言われる(これについてはSu-27にも記述があるので参照されたい)。これらの戦訓から機体性能の限界も明らかになり、シーハリアー FA.2の開発に活かされることとなった。シーハリアー FA.2は、デリバリット・フォース作戦やアライド・フォース作戦などでNATO軍に加わって実戦参加しているが、目立った戦果は挙げていない。ハリアーからの改造点が必要最小限に抑えられており、ブルーフォックス・レーダーの搭載、新設計の機首とコックピット位置の変更、前脚へのタイダウン・ラグの取り付け、操縦席の空調システムの更新、新型エジェクター・ラック付き改修型パイロンの装備、エンジンの双ジェネレーター対応化、油圧システムの変更、電気システムの完全再設計化、独立型緊急ブレーキの装備、簡易型自動操縦装置の装備、横操縦用リアクション操縦バルブの出力増加、水平尾翼の大型化などとなっている。シーハリアー FRS.1の機首に搭載するブルーフォックス・レーダーは、フェランティ社が開発した火器管制レーダーで、捜索、攻撃、ボアサイト、トランスポンダーの4モードを持つ。また、電子妨害やクラッターの影響を排除できるよう、周波数敏捷機能も持たされている。このブルーフォックス・レーダーによる情報は、HUD/兵装照準コンピュータ(WAC)を介して処理され、パイロットに表示される。このレーダー搭載によって機首部の形状は大きく変更され、合わせて操縦席回りも完全に設計が変更された。インヴィンシブル級航空母艦(軽空母)のエレベーターに収めるために、機首のレドームが折り畳めるようになっている。コックピットの床面は、これまでのハリアーよりも25.4cm高められ、風防も水滴型にされた。これにより、エアインテーク越しの後方視界が著しく改善され、着艦操縦も容易に行えるようになった。加えて、床下にスペースが生まれたため、追加の電子機器をそこに収めることができる。搭載するエンジンは、ロールス・ロイス製ペガサス Mk.104で、海上での運用を考慮して腐食しにくい材質が使用されている。兵装面では、サイドワインダー空対空ミサイルや、空対艦ミサイルの運用能力が追加された。ただし、後者はブルーフォックス・レーダーが発射に対応していないため、ニムロッドなど他の航空機の支援がなければ使用できない。また、インド海軍のシーハリアー FRS.51は、サイドワインダーの代わりにマジックを携行する。能力向上改修を受けたシーハリアー FA.2では、機首のレーダーを全天候でルックダウン・シュートダウン機能を有するブルーヴィクセン・レーダーへ換装している。ブルーヴィクセン・レーダーは、新世代のパルス・ドップラー・レーダーで、追跡しながらの捜索(Track While Scan, TWS)、多目標同時処理能力、兵装発射距離の延長、地上目標捕捉能力の強化、対ECM(ECCM)機能改善などが盛り込まれている。ただ、アンテナ直径やレーダー全体が大きくなっているため、機首形状が膨らみを持った形に変更され、バランスをとるために主翼後縁直後で胴体が35cm延長された。コックピットの計器類も一新され、新たに多モードのHUDが装備されている。戦闘時の兵装システムの操作装置は、アップ・フロント・コントロールにまとめて配置され、HOTAS概念も導入されている。エンジンは、ハリアー IIで採用されたペガサス Mk.105の派生型ペガサス Mk.106に換装されたが、推力そのものは変わっていない。兵装類はシーハリアー FRS.1と変わらないが、新たにAIM-120 AMRAAM空対空ミサイルの携行能力が付与され、シーイーグルの単独運用能力も得た。この他、NATO軍との相互運用性を確保するために統合戦術情報伝達システム(JTIDS)の装備、使い捨て型アクティブ・レーダー・デコイの装備も後に追加されている。

出典:wikipedia

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