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富士の巻狩り

富士の巻狩り(ふじのまきがり)とは、建久4年(1193年)5月に源頼朝が多くの御家人を集め、富士の裾野付近を中心として行った壮大な巻狩のことである。富士の巻狩の目的としては、征夷大将軍たる権威を誇示するためや軍事演習などの目的があったとされる。巻狩りの行動範囲は、富士の裾野の東方(現在の静岡県御殿場市や裾野市)に始まり、より西側の朝霧高原(現在の静岡県富士宮市)まで及んだ。『吾妻鏡』には「射手たる輩の群参、あげて計ふべからずと云々」とあり、数えきれない程大勢の御家人が参加したという。すべて『吾妻鏡』による。5月16日、頼朝の嫡男頼家が初めて鹿を射止めた。この後狩りは中止され、晩になって山神・矢口の祭りが執り行われた。頼家が鹿を射たとき、近くに控えていた然るべき射手の中から工藤景光・愛甲季隆・曾我祐信が召しだされ、矢口餅を賜った。頼朝は喜んで政子に報告の使いを送ったが、政子は武将の嫡子なら当たり前のことであると使者を追い返した。これについては、頼家の鹿狩りは神によって彼が頼朝の後継者とみなされたことを人々に認めさせる効果を持ち、そのために頼朝はことのほか喜んだのだが、政子にはそれが理解できなかったとする解釈がなされている。真名本『曽我物語』には、巻狩り3日目の夕方、突然手負いの大猪が頼朝に向かって突進してきた。頼朝のそばに控えていた新田四郎忠常がとっさに大猪に飛び乗り刀を5、6度突き刺して、これを退治したという逸話がある。5月27日の狩りの最中、頼朝の前に突然、大鹿が走ってきた。頼朝のそばにいた工藤景光が鹿を射ることを願い出て許された。弓矢の名手である景光は3度まで射たが、すべて外れた。景光は「自分は11歳のころから狩猟を生業として70余年になるが、未だかつて獲物を仕留められなかったことはない。これはあの大鹿が山神のお乗りになる鹿に違いない。自分の命運も縮まった。後日皆で思い合わせてほしい」と言った。人々も奇異に思っていたところ、晩になって景光は病に倒れてしまった。頼朝は「これは非常な怪異だ。狩りを中止して帰還すべきだろうか」と言ったが、宿老たちがその必要はないと進言したため、翌日から7日間狩りを行うことになったという。5月28日には曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討つ曾我兄弟の仇討ちが起こった。二代将軍となった源頼家も父に習い、1203年(建仁3年)に富士の巻狩を行っている。またこの地は度々巻狩が行われたようである。仁田忠常の人穴の探索が有名である。

出典:wikipedia

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