イアゴ・ファルケ・シルバ(Iago Falque Silva, 1990年1月4日 - )は、スペイン・ビーゴ出身のサッカー選手。トリノFC所属。ポジションは攻撃的フォワード。ヤーゴ・ファルケとも表記される。ガリシア州・ビーゴに生まれたが、2000年から2001年にはレアル・マドリードの下部組織(カンテラ)に所属し、2001年にライバルのFCバルセロナの下部組織に移った。インフェリオール・カテゴリーで頭角を現し、逸材のひとりとして注目されるようになり、2008年にはFCバルセロナ・アトレティックがセグンダ・ディビシオンB(3部)に昇格し、それと同時にイアゴもアトレティックのメンバーに昇格した。それまでアトレティックを率いていたジョゼップ・グアルディオラ監督がトップチームの監督に就任したため、ルイス・エンリケがアトレティックの監督に就任し、イアゴはアトレティックでのデビュー戦で初得点を挙げた。しかし、イアゴはエンリケ監督と折り合いが悪く、さらに同ポジションのガイ・アスリンら年下の成長も著しかったため、U-19スペイン代表であるにも関わらず戦力外通告を受けた。2008年8月30日、イタリア・セリエAのユヴェントスFCと4年契約を結んだ。複数のクラブがイアゴに関心を寄せていたが、ユヴェントスのクラウディオ・ラニエリ監督はイアゴが活躍したアイルランドでのU-19トーナメントを直接視察に訪れていた。フリートランスファーであったが、活躍次第でFCバルセロナには250万ユーロの補償金が支払われる。スペイン人の逸材をスペイン国外のクラブに奪われたことについて、メディアはFCバルセロナの失態であると捉えた。2008-09シーズンのはプリマベーラ(ユース)で主力としてプレーして活躍し、アルビン・エクダルやロレンツォ・アリアウドらと共に、ビアレッジョ国際ユーストーナメントで優勝した。12月6日、USレッチェ戦でトップチームへの初招集を受けた。2009年夏のプレシーズンにはACミランとの練習試合でトップチームデビューを果たしたが、8月25日、セリエAのASバーリにレンタル移籍し、2009-10シーズン前半戦はユースチームでプレーした。2010年1月にユヴェントスに復帰したが、ユヴェントスでもやはりユースチームでプレーした。2010年7月29日、スペイン・セグンダ・ディビシオンB(3部)のビジャレアルCF Bにレンタル移籍した。2010-11シーズンはレギュラーとして36試合に出場してチームトップの11得点を挙げたが、ビジャレアルCFは買い取りオプションを行使せず、2011年6月30日に契約元のユヴェントスに戻った。2011年8月25日、1年間の契約でイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFCにレンタル移籍した。契約には完全移籍での買い取りオプションが付けられた。9月15日、UEFAヨーロッパリーグ・PAOKサロニカ戦(0-0)でデビューした。2012年1月16日、トッテナムに完全移籍し、直ちにフットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部相当)で首位を走るサウサンプトンFCにシーズン終了までの契約でレンタル移籍した。レスター・シティFC戦でデビューした。2014年7月31日、ジェノアCFCに完全移籍した。2007年にはベルギーで開催されたUEFA U-17欧州選手権で優勝し、韓国で開催されたFIFA U-17ワールドカップでは準優勝した。2008年にはチェコで開催されたUEFA U-19欧州選手権に出場し、12月にはガリシア代表に初招集された。ボージャン・クルキッチらと同世代で、スペインでは“Quinta de Bojan”(ボージャン世代)と呼ばれる逸材揃いの世代の一員とされている。
出典:wikipedia
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