截金(きりかね、切金)は、細金(ほそがね)とも呼ばれ金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法である。細い線状の截金と、三角形・菱形・丸型などの形に切った截箔・切箔(きりはく)、箔をある形に截り透かした裁文(さいもん)、これらを単独あるいは組み合わせて表した文様を截金文様と呼ぶ。日本においては特に仏像・仏画の衣や装身具を荘厳するために発達してきた。現代では工芸品として利用されることも多く、京都市の伝統産業として京の手しごと工芸品に認定されているアジア以外の作例として、ヘレニズム時代(紀元前300-30年頃)の地中海沿岸で製造されたと推定される、金箔による植物文様を2層の透明ガラスの間に挟み込んだゴールドサンドイッチガラス(金箔入りガラス)と呼ばれるものがある。「金箔入りガラスボウル」、「金箔入りガラスプレート」、「金箔入りスキュポス」や「金箔入りガラスカップ」が例である。4世紀頃には「金箔入りガラスメダリオン」や「金箔入りガラスベース」、「金箔入りガラス碑文」が製造されており、これらは金箔をガラスに貼り付けた後、先の細い道具を使って刻むことにより、模様を浮かび上がらせた截文の例であると考えられる。その後、9世紀から10世紀頃のアッバース朝下のイラクやシリアから「金箔入りガラスボウル」、や「金箔入りガラスタイル」が、12世紀前半のザンギー朝下のシリアでは「金箔入りガラス瓶」が発見されており、技法が伝播していることが窺える。中国では北斉時代(550-577年)の菩薩像2体に截金が見られる。菩薩立像の胸飾りや腕釧は金箔で彩られ、真ん中に合わせ目を見せる赤い裳には緑と赤の区画に白い丸文を描いた文様が縦に連なっており、この区画の境界線には截金が使われている。また、もう1体の菩薩像残欠には中央の飾り帯の環状飾りより下に、截金によって二重の亀甲文の中に亀を描いており、裳裾にも縦長の亀甲文の中に3枚の葉をもった植物文を上下に重ねた文様などが施されている。朝鮮半島では6世紀前半、百済の忠清南道武寧王陵出土の王妃木製頭枕に朱漆と思われる赤色に着色された表面に、幅をもたせて帯のように切られた線状の金箔による亀甲文様が施されているのが確認されている。日本においては、7世紀半ばの飛鳥時代に朝鮮半島や中国大陸より仏像彫刻や仏画とともに伝わったといわれる。法隆寺所蔵玉虫厨子の須弥座上框下の請花花弁先端部分に小さな長菱形の截箔が施されており、これが国内に現存する最古の截金作品とされる。また、白鳳文化を代表する絵画である高松塚古墳壁画には天井に描かれた日月図に金箔と銀箔(鼠色に変色)の截箔が使用され、星宿図には直径0.9cmほどの円形の金箔が使用されている。奈良時代には、東大寺法華堂(三月堂)の乾漆造四天王立像(国宝)の仏像の衣や甲冑の装飾、東大寺戒壇堂の塑造四天王像の着衣の地文に直線文と点綴文の截金が使用されている。正倉院宝物の新羅琴・金薄輪草形鳳形には菱、松葉、草花文や曲線で表現した鳳凰文などの截金文様を見ることができる。平安時代には、仏画の荘厳に截金が取り入れられ、平安時代後期の高野山金剛峰寺の仏涅槃図や東京国立博物館蔵の金棺出現図などの仏画に繊細な截金文様を駆使したものがあり、仏教美術の隆盛と共に截金は飛躍的な発展を遂げたことが窺える。また、平等院の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝)の台座下から見つかったガラス容器の破片84点のうち3点に截金装飾が確認されており、古代のガラス細工に截金が施された例は東アジアでは初めてである。鎌倉時代には、仏師快慶の活躍により新しい文様が生まれるなどしたが、室町時代から江戸時代にかけては次第に形式化し、金箔に代わって金泥による文様も普及したため、それ以降は継承者が少なくなっていった。近世以降は、東西両本願寺の庇護のもとで限られた人にのみ伝承される技になってしまったが、現代になりその技法を伝えようとする人々が現れ、講演会や文化教室を通じて徐々に認知されつつある。自然現象・植物・動物・日用品などを図案化し、規則正しく幾何学的に繰り返すことによって文様を表すことが多い。基本となる文様を応用し変形させたものや、それぞれを組み合わせたものなど様々なパターンがあり一概に決まっているわけではない。これまでに重要無形文化財保持者の認定を受けたのは以下の3名である。
出典:wikipedia
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