サヴォイ・オペラ(Savoy Operas)は、19世紀後期のヴィクトリア朝イングランドで発展したコミック・オペラ()の一形式を指す。オペラ台本作家のW・S・ギルバートと作曲家のアーサー・サリヴァンとの、「ギルバートとサリヴァン組」()(以下G&Sと表記)が、その元祖で、最も成功した。「サヴォイ」という名前はサヴォイ劇場()に由来する。興行主リチャード・ドイリー・カート()がG&Sの作品を上演するために建てた劇場で、後には他の作曲家=台本作家チームの作品も上演された。しかし、G&Sオペラ以外の作品のほとんどはレパートリーになるに至らず、「サヴォイ・オペラ」という言葉はほぼ「ギルバートとサリヴァン」と同義語になってしまった。とはいえ、いずれの意味でも「サヴォイ・オペラ」は現代のミュージカルの誕生に大きな影響を与えたものの1つであることに変わりない。ギルバート、サリヴァン、カート、それにヴィクトリア朝のイギリスの台本作家・作曲家・興行師たち(, 、, を参照)、さらに新聞、文壇は、大陸ヨーロッパのオペレッタと差別化し、いずれはオペレッタに変わってそう呼ばれることを願って、この種のオペラを「コミック・オペラ」と呼んだ。この時代以降、G&Sについて書かれた出版物の多くは、こうしたオペラを「コミック・オペラ」か「サヴォイ・オペラ」、あるいは両方の名前で呼んでいる。しかし、『Penguin Opera Guides』など多くの音楽辞書・辞典はギルバートとサリヴァンの作品を「オペレッタ」に分類している。サヴォイ劇場のこけら落とし(1881年10月10日)は『ペイシェンス』()で、厳密にいうとこれが最初のサヴォイ・オペラになる。以降、サヴォイ劇場で上演されたG&Sオペラを「◎」で示した。しかし、「サヴォイ・オペラ」という言葉は通常、リチャード・ドイリー・カートのために作られたすべてのG&Sオペラを指す。追加されるものを「○」で示した。最初のG&Sオペラは1871年の『テスピス』だが、リチャード・ドイリー・カートともサヴォイ劇場とも関係がないので、普通はサヴォイ・オペラには含まれない。しかし、シリル・ロリンズ&R・ジョン・ウィッツ、およびジェフリー・スミスは『テスピス』をサヴォイ・オペラに含めている。それを「△」で示した。リチャード・ドイリー・カートは、G&Sオペラと並行して、開幕劇(後述)、あるいはギルバートとサリヴァンの作品が空いた時の穴埋めに、別の作曲家=台本作家チームにもオペラを書かせていた。開幕劇を除けば、1881年10月10日のオープンから1891年6月20日の『ゴンドラの漕ぎ手』の楽日まで、サヴォイ劇場で上演されたオペラはG&Sオペラだけだった。しかし次の10年間のG&Sの新作はたった2本(『ユートピア株式会社』と『大公』)しかなく、その間カートは、過去のG&Sオペラを再演するか、別の台本作家とサリヴァンを組ませるか、まったく別の作曲家=台本作家チームに作品を作らせた。そのカートが1901年4月3日に亡くなった。もしカートかつサヴォイ劇場が「サヴォイ・オペラ」と定義されるのであれば、最後のサヴォイ・オペラは『ペルシャの薔薇』になる。その間に上演されたものを「A」で示した。カートの死後、その妻ヘレン()がサヴォイ劇場の運営にあたった。ヘレンはG&Sオペラのリバイバルと並行して新作を上演した。ヘレンが上演した作品まで数に入れると、最後のサヴォイ・オペラは、『A Princess of Kensington』になり、ロリンズ&ウィッツはこれを「最後のサヴォイ・オペラ」としている。その間に上演された作品を「B」で示した。その後、1906年12月8日、G&Sオペラの再演をしている時に、ギルバートが復帰し、ヘレンはサヴォイ劇場を手放した。1909年3月、チャールズ・H・ワークマン()が劇場を引き継ぎ、新作を上演した。新作の中にはギルバート台本の『Fallen Fairies』もあった。ワークマンが上演した最後の作品は『Two Merry Monarchs』で、S・J・アデア・フィッツ=ジェラルドはこれを「最後のサヴォイ・オペラ」としている。その間に上演された作品を「C」で示した。フィッツ=ジェラルドが『The Story of the Savoy Opera』を書いた1924年には、他の作品のこともまだ人々の記憶に残っていた。しかし時が過ぎ、その他の作曲家=台本作家が作った、どんなオペラが上演されたかは忘れられてしまった。「サヴォイ・オペラ」という言葉はギルバートとサリヴァンの作品と同義語になってしまった。サヴォイ・オペラは新作を上演する時、1本ないし2本のCompanion piecesを付け足した。本編が始まる前のものは開幕劇()、終わった後のものをアフターピース()と呼ばれる。次に挙げるものは、1909年までにサヴォイ劇場ならびにOpera Comiqueで上演されたCompanion piecesのリストである。他にもあったかも知れないし、正確な日付が不明なものもある。劇の上演期間に2本以上のCompanion piecesを回転させるのが当時は一般的であったから、日付は重なっている。なお、カートは巡業も行っていたので、Companion piecesの多くがサヴォイ劇場、Opera Comique以外の場所でも上演されていた。おおよその日付
出典:wikipedia
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