川口市(かわぐちし)は、埼玉県南東部の荒川北岸にある人口約58万人の市。人口は政令指定都市を除いた市では船橋市、鹿児島市に次いで全国第3位、県内ではさいたま市に次いで第2位、特例市としては日本で最も多い人口を擁する。荒川を隔てて東京都と接しており、東京に通勤・通学するいわゆる「埼玉都民」が多く、市内の広範に住宅地が広がる。東京駅からの距離が大田区と同じ15km圏(蒲田駅まで14.4km、川口駅まで15.8km)に位置している川口における市街の形成は、江戸時代に日光御成街道の宿場がおかれていた川口宿(現:本町一丁目周辺)に端を発する。近代以降は、中心部において既に地場産業として成立をみていた鋳物工業が、旧川口宿の東側・北東側を中心に集積・拡大をみせ、川口は工業都市としての発展をみた。その一方、東京の都市域の拡大に伴い、宅地化も急速に進展した。近年、鋳物工場は新郷地区等への移転や廃業に伴い、中央地区周辺では往事に比べて大幅に減少しており、今ではほとんどその姿は見られない。このような鋳物工場の跡地の多くでは、その後集合住宅をはじめとする中高層の建築物が建てられており、街の風景は大きな変容を見せている。また、川口市で地理的な中央部にある鳩ヶ谷地域には、江戸時代の旧鳩ヶ谷宿という川口市の中央地区における旧川口宿とは異なる歴史や伝統があり、鳩ヶ谷駅東口の鳩ヶ谷本町付近においては歴史的な建築物や町並みが現在でも残存している。人口増加による無秩序な市街地拡大を防ぐため、芝地区や戸塚地区では区画整理事業が進んでいる(埼玉県の土地区画整理事業一覧)。埼玉県の「中央地域」と呼ばれる県南東部JR京浜東北線・高崎線沿線地域(旧北足立郡地域)のうち、南端に位置する市の1つ。北をさいたま市、西を蕨市と戸田市、東を越谷市と草加市、南東を東京都足立区にそれぞれ接し、南西は荒川を隔てて東京都北区と接する。東部地区(戸塚、神根、安行、新郷、鳩ヶ谷など)は大宮台地鳩ヶ谷支台が南北に走る高台になっているが、それ以外のほとんどの地域は低地である。低地部分は住宅地などの都市的な機能、台地部分は畑・樹木畑など近郊型農地としての土地利用が多い。また、芝川が市域中央部を縦断するように流れる。括弧内は行政区を示す2002年(平成14年)、隣接する鳩ヶ谷市(当時)・蕨市との間に市町村合併に関する任意協議会がおかれ、合併の構想が進められてきた(翌年には法定協議会を設置)。しかし、2004年(平成16年)に新市名を「武南市」とする決議が合併協議会で可決されると、事前に行った市名公募の質問紙を用いた調査において1位となった「川口市」の名称が使用されないことなどを理由に、川口市が協議会の離脱を表明し、合併協議会も解散に至った。鳩ヶ谷市が合併協議会解散後に行った「合併に関する全世帯意向調査」で、「川口市との合併」が過半数に達し、編入合併についても3割以上の賛成があり、2009年(平成21年)に鳩ヶ谷市が川口市に改めて合併協議を申し入れ、2市による任意合併協議会が設立された。特筆すべきこととして、川口市は旧鳩ヶ谷市との合併を実現するにあたり、川口市は旧鳩ヶ谷市民が排出したごみを処理するかわりに、旧鳩ヶ谷市は川口市民が排出するし尿を処理するという広域行政を実現することを事実上の合併の条件として旧鳩ヶ谷市に課したが、旧鳩ヶ谷市はそれでも川口市との合併を実現したいという強い意思により、旧鳩ヶ谷市域の八幡木においてし尿処理施設である鳩ヶ谷衛生センターが建設された。2010年(平成22年)9月28日に、任意合併協議会が法定合併協議会「川口市・鳩ヶ谷市合併協議会」へ移行し、鳩ケ谷市を川口市に編入する『編入合併』とし、合併の期日を2011年(平成23年)10月11日とする事が決定した。2011年1月28日に、川口市と鳩ヶ谷市の合併協定書が調印され、3月9日に川口市議会が合併関連議案を可決した。なお、旧鳩ヶ谷市の川口市への吸収合併にあたり、「本町」など両市に共通する地名を修正する必要があったため、旧鳩ヶ谷市内の重複地名には「鳩ヶ谷」の名称を施すことで、合併前の川口市内の重複地名との差別化が図られた(本町→鳩ヶ谷本町、南→南鳩ヶ谷、緑町→鳩ヶ谷緑町)。1995年に旧浦和市(現:さいたま市)にその座を譲るまで、旧鳩ヶ谷市を除いても埼玉県内において最多の人口を擁していた。住民基本台帳と外国人登録に基づく登録人口が、2009年5月には推計人口がそれぞれ50万人を突破した。2013年6月時点の在留外国人数は2万2287人となっており、これは埼玉県の自治体の中で最大である。平成28年の統計によると国籍別では中国 (16700人)が最も多く、次に韓国・朝鮮(3013人)、ベトナム(1664人)と続き、トルコ(832人)が4番目となっている。これは蕨市・川口市一帯にトルコ国籍の在日クルド人が日本で最も多く住んでいるからである。川口市は東京都大田区や東大阪市とともに工業都市として名高い。中でも最も有名な産業は、鋳物工業である。江戸時代に農閑期の副業として始まった鋳物工業は、荒川の砂や粘土、消費地江戸への舟運に恵まれて発達した。鍋、釜などの日用品のほか、幕府や諸藩の大砲や砲弾の鋳造が行なわれていた。幕末の動乱期には、勝海舟の指示により川口の鋳物で大砲が製造されている。明治維新後は永瀬庄吉ら先覚者の技術改良や日清、日露戦争、第一次世界大戦による好況に支えられ、(旧)川口町(現:川口駅南東側一帯)は県下最大の工業都市に発展した。その後昭和恐慌によって打撃を受けたが、第二次世界大戦後いち早く民需に切り換えて復活、全国有数の鋳物の街となった。この川口の鋳物の工場街は、女優の吉永小百合をヒットさせた映画『キューポラのある街』(1962年公開)の舞台ともなった。1964年の東京オリンピックでは、川口の鋳物で聖火台が作られた。しかし大半が従業員30人未満の中小企業である鋳物業者は、京浜工業地帯の大企業の下請生産が多いため不況の影響を受けやすいという弱みがあった。また東京に近いことから1960年代以降は急激に都市化が進み、地盤沈下や騒音などの公害がひどくなったため、1965年以後、市街地からの工場の計画的移転が実施されるに至った。1971年までに川口駅近くに点在していた鋳物工場の多くは新郷地区などの郊外工業団地へ移った。駅西口にあった旧工業技術院公害資源研究所は茨城県つくば市に移転し、現在は産業技術総合研究所の一部門を形成している。さらに1970年代以降、鋳物工場の跡地に高層マンションが建設が続いている。都市計画の用途地域上工業地域や準工業地域といった形態規制の緩い地区に指定されていることが理由にあげられる。概ね旧町村域ごとに、町名・大字名とは別の地区名称が存在する。主にこれは「○○地区」という呼ばれ方をするが、第3次川口市総合計画等、「○○地区」ではなく「○○地域」と表記された文書も存在する。ただし、旧川口宿ならびに旧川口町域に関しては、川口地区とは称さずに中央地区と称している(現在の川口における地理を考えると決して「中央」に位置しているわけではないが、川口市における中心部の意から「中央地区」と称されている)。そして、旧南平柳村域に関しては、南平(なんぺい)地区と称しており、「南平柳地区」とは称されてはいない。川口市役所や川口駅ならびに川口元郷駅のある中心市街地は南西部に位置する。荒川を隔てて東京都に面し、鉄道やバス路線で結ばれていることから、東京都と通勤・通学の行き来が多い。駅周辺は、竣工当時日本一の高さだったエルザタワー55をはじめ、超高層マンションが林立する。川口駅前一帯の中央地区、川口駅西側の横曽根地区を中心に、中央地区の東に隣接し川口元郷駅が所在する南平地区の西部、中央地区の北に隣接し市役所が所在する青木地区の南部へと市街地が広がる。南平地区には南部や西部の川岸に工場や倉庫が集まっている地域もある。東京都区部に隣接し、また東京都心から10数kmの距離にある市南西部は、戦前の比較的早い時代から都市化が進んだ。このため中央・横曽根・南平柳の各地区及び北部を除く青木地区は、首都圏整備法上の既成市街地としての指定を受けている。南部を除く青木地区と横曽根地区の北部、およびその北西の芝地区は、西川口駅や蕨駅を最寄りとした市街地になっており、地理的に蕨市がこれらの地区に食い込んだような市境となっている。芝地区の一部はさいたま市の南浦和駅が最寄りの地域もある。住宅と商店が密集し、多くの商店は川口駅周辺から連なって産業道路沿いに存在し、地区内の他の主要道路でも住宅地と商店街が混在するなど全域市街化されているが、青木地区の中北部には青木町公園総合運動場、川口オートレース場、SKIPシティ、イオンモール川口前川など大規模な施設も立地している。東川口駅がある戸塚地区は川口市最北東に位置し、南西部に位置する中央地区から最も遠い位置にある。東川口駅開業に伴い昭和50年代から開発され、以降も相次ぐ区画整理により、市内でも特に都市計画道路が整備された市街地が形成されている。地区全体を南北に縦断している「けやき通り」沿いに商店が立ち並び、けやき通りから離れると住宅街が広がる。市域西部の市街がおおむね川口駅前の中央地区から連続した街並みであるのに対し、戸塚地区は独自の発達をしている。また地理的に隣接する、さいたま市緑区や越谷市との関わりも深い。地区北部の東川口駅は武蔵野線と埼玉高速鉄道線の乗換駅であり、また地区南端に戸塚安行駅も開業するなど交通の便がある。戸塚安行駅の開業に合わせ同駅周辺の区画整理が進行している。戸塚地区の西に隣接する神根地区は一部を除き殆どの地域が大宮台地上に位置し、市内では最も緑が多く坂も多い。都市計画上の市街化調整区域はこの地区に集中する。西部の柳崎・北園町・在家町など芝川西岸に東浦和駅周辺の住宅地としてさいたま市域と繋がった街並みが存在するため、隣接する箇所を中心に同市との関わりが深いが、それ以外の芝川東岸の地域は新井宿・安行領根岸周辺、芝川西岸から道合・神戸付近まで至る「たたら荘前通り」周辺などの一部を除き、市街化された地域は最小限となっている。従って、それ以外の地域では現在でも多くの畑や植木苗の畑が見られ農業が盛んである。地区南部には新井宿駅の開業によって、武州鉄道の廃線以来63年ぶりに地区内唯一の鉄道駅ができた。この地区は面積が最も広く、東北自動車道や東京外環自動車道などが縦横に通り、川口ジャンクション、川口パーキングエリアも存在する。また、川口市立グリーンセンターや川口市立医療センター、イオンモール川口が立地している。戸塚地区の南に隣接する安行地区は植木栽培が盛んであり、川口緑化センターなどの植物に関係する施設が多い。安行の南にある新郷地区は市域東端で、中央地区周辺から移転してきた鋳物工場などの関係で工業施設が多いほか、関東広域AMラジオ局の文化放送の送信所がある。安行の北部は戸塚安行駅が近いが、この2地区には鉄道が通っていないためバス路線が非常に発達している。西に隣接する鳩ヶ谷地区を越えて中央地区の川口駅などを利用するほか、東に隣接する草加市との関わりが深く、松原団地駅や新田駅、草加駅を最寄り駅とする地域がある。南部では、東京都交通局日暮里・舎人ライナーの開業により、南に隣接する東京都足立区の見沼代親水公園駅も利用可能となった。鳩ヶ谷地区は、平成23年10月11日に旧鳩ヶ谷市から川口市へ編入合併されたことにより、旧鳩ヶ谷市域は川口市における一地区となった。南平地区、青木地区、神根地区、新郷地区、安行地区ならびに東京都足立区に包囲されており、地理的には川口市の中央部に位置している。同地区における公共交通機関として、埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅や南鳩ヶ谷駅がある。また、鳩ヶ谷地区の北部では、神根地区内の新井宿駅が至近に存在する。川口駅周辺には準工業地域の用途指定にあたる地区が広がっており建築制限が緩く、工場の跡地など広い土地も容易に確保できたため、多くの高層マンションが建設された。なお高層ビルとしては、川口総合文化センターリリアと川口センタービルが存在する。川口市では、「川口市奨学資金貸付制度」という奨学金制度がある。高等課程を高等学校・高等専門学校・専修学校として、専門課程を大学・短期大学・専修学校として定義、設定している。なお、奨学金は返還義務がともなう。ご当地ナンバーである川口ナンバー(埼玉運輸支局)が交付される。市西部をJR京浜東北線が縦断、北部をJR武蔵野線が横断し、市域中央部を埼玉高速鉄道線が南北に貫く。JRの鉄道路線が共に市域の外周部近くに位置するため、埼玉高速鉄道開通以前は市中央部および東部が鉄道空白地帯であった。地域によっては隣接する他区市の赤羽駅、赤羽岩淵駅、蕨駅、南浦和駅、東浦和駅、松原団地駅、新田駅、草加駅が最寄り駅となる場合もある。日暮里・舎人ライナーの開業により、東部地域では見沼代親水公園駅なども利用可能となる。主要道路は市域中央部を国道122号、東部を首都高速川口線がそれぞれ縦断、北部を東京外環自動車道(高架下は国道298号)が横断し、川口ジャンクションでそれら全てと東北自動車道が交わる。荒川を隔てた東京都北区へは、国道122号のみが通じているため、終日渋滞しており、また付近で交通取締を行うことも多い。 東日本旅客鉄道(JR東日本)市内を東北本線(宇都宮線)・高崎線・湘南新宿ラインが京浜東北線と並行して通っているが、停車するホームがない。(いずれも東京都北区の赤羽駅とさいたま市浦和区の浦和駅間の区間である。)なお、50万人以上の人口を抱える市で有料の優等列車が1本も停車しないのは川口市のみである。タクシーの営業区域は県南中央交通圏で、さいたま市・鴻巣市・上尾市・戸田市などと同じエリアとなっている。いずれの高速道路からも川口JCTでは乗り降りできない。映画その他東映製作の特撮番組や多くのドラマ(特に土9やテレ朝系、東映系)が、川口市内で撮影される。
出典:wikipedia
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