電流丸(でんりゅうまる)は佐賀藩所有の軍艦。排水量およそ300トンの木製コルベットだった。安政3年(1856年)にオランダ・ロッテルダムで竣工、原名は「ナガサキ」。安政5年10月(1858年)に佐賀藩が10万ドルで購入、藩の主要な港であった三重津海軍所で運用された。同海軍所で電流丸の蒸気罐製造の製作場が設けられ田中久重らがその担当者となっていたことや、キールの銅板が張替えられた記録が残っている。明治元年(1868年)に新政府軍が徴発した。明治元年(慶応4年)3月26日(1868年4月18日)に大阪天保山沖で日本で初めての観艦式が行われた。この時は観兵式の名称で行われ、本船は旗艦として参加した。明治4年(1871年)に国軍への献納の申し出があったが老朽艦のため砲のみ受け取り、同年6月に伊万里で売却解体された。この時に日本海軍籍(当時の軍務官の管理下)となったかどうかには諸説があり、藤原彰『軍艦史』では明治2年の函館の役終了後の軍務官管理の艦の一つに揚げられ、『近世帝国海軍史』によると入籍しなかったという。また福井静夫『帝国海軍艦艇一覧表』では雑軍艦の項に記載があるという。『日本海軍史』では上記の通り、砲のみを受け取ったとなっている。
出典:wikipedia
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