カールトン・アーネスト・フィスク(Carlton Ernest Fisk, 1947年12月26日 - )は、アメリカ合衆国バーモント州ベローズフォールズ出身の元プロ野球選手(捕手)。愛称は「Pudge」。1月のMLBドラフトでMLBのボストン・レッドソックスから1巡目(全体4位)に指名を受け入団。同年9月18日の対ボルチモア・オリオールズ戦でMLBデビュー。9月12日の対デトロイト・タイガース戦でMLB初本塁打を記録。にレギュラーを獲得し、前半戦で打率.310・15本塁打の成績でオールスターゲームに初選出される。打率.293・22本塁打・61打点、リーグトップの9三塁打、共にリーグ2位の長打率.538・OPS.909を記録し、新人王を満票で受賞。MVPの投票でも4位に入り、ゴールドグラブ賞も獲得した。はニューヨーク・ヤンキースとの開幕戦で満塁本塁打を含む2本塁打を放ち6打点を記録するなど、前半戦で18本塁打を放つが、後半戦で打率.196と不振に陥った。は故障で出遅れ、復帰後は好調だったものの6月28日を最後に左足を骨折して離脱し、52試合の出場に留まる。同年のオールスターゲーム前の開会式では、松葉杖に支えられながらアメリカンリーグのスター選手達とファウルライン上に並び、スタンドのファンの大喝采を受けた。も故障で出遅れ、6月下旬に復帰。79試合の出場ながら打率.331・10本塁打・52打点を記録しチームの地区優勝に貢献。ワールドシリーズ3連覇中のオークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.417と活躍し、チームは3連勝で8年ぶりのリーグ優勝。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは王手をかけられ、本拠地フェンウェイ・パークで迎えた第6戦の延長12回裏に先頭打者として打席に立ち、レフトポールを直撃するサヨナラ本塁打を放つ。ポール際に飛んだ打球に向かって両手を大きく右に振って「入れ、入れ」とジェスチャーする姿は全米の注目の的となり、当時世界一の名バレエダンサーだったルドルフ・ヌレエフばりに「ヌレエフ・ダンス」と有名になった。後に「シリーズ史上最高のゲーム」と呼ばれるようになった試合の象徴的なシーンだった。チームは第7戦で敗れてワールドチャンピオンを逃す。レッズのスパーキー・アンダーソン監督はフィスクの送球がシュート気味に二塁ベースの右の方に偏るのを見抜いて積極的に走らせ、レッズはこのシリーズでフィスクから9連続で盗塁を成功させている。は26本塁打・102打点、いずれもキャリアハイの打率.315・出塁率.402・106得点を記録。はキャリアハイの157試合に出場し、20本塁打・88打点を記録。チームはヤンキースとのワンゲームプレーオフで敗れて地区優勝を逃した。オフにフリーエージェント(FA)となる。3月18日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。同年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮された影響で96試合の出場に留まるが、シルバースラッガー賞を受賞。は6月中旬まで打率が.200前後と不調だったが、7月に打率.366・10本塁打・31打点を記録するなど後半戦で打率.319・17本塁打・56打点と調子を上げ、チームの地区優勝に貢献。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.176に終わり、チームは1勝3敗で敗退。MVPの投票では自己最高の3位に入った。は9月6日のテキサス・レンジャーズ戦で7打点を挙げるなど、打率.238ながらキャリアハイの37本塁打・107打点を記録し、2度目のシルバースラッガー賞を受賞。にリック・フェレルが持つ捕手としての最多出場試合1806のメジャー記録を40年ぶりに更新。同年は76試合の出場ながら19本塁打を記録し、3度目のシルバースラッガー賞を受賞。のオールスターゲームに43歳で出場して安打を放ったが、これはオールスターゲーム出場選手中、最高齢安打記録である。その後捕手としての出場試合を2226まで伸ばすが、6月28日に解雇され、現役を引退。にホワイトソックス時代の背番号「72」が球団の永久欠番に指定される。にアメリカ野球殿堂入り。にレッドソックス時代の背番号「27」が球団の永久欠番に指定された。6月13日、レッズ戦の試合前にセレモニーが行われ、球団はフェンウェイ・パークの左翼ポールを「フィスク・ファウルポール」と命名した。2012年10月22日、イリノイ州ウィル郡ニューレノックスのトウモロコシ畑の中でウォッカを飲み車で寝ていたところを通報され、飲酒運転の容疑で逮捕された。ワールドシリーズのサヨナラ本塁打から37年と1日後の事であった。
出典:wikipedia
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