華厳の滝(けごんのたき)は、栃木県日光市にある滝。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている。男体山の噴火により堰き止められた中禅寺湖からの地表を流れる唯一の流出口大谷川にある滝。落差97mの滝を一気に流れ落ちる様は壮観で、日本三名瀑のひとつにも数えられている。霧降の滝、裏見滝と併せて日光三名瀑とも、湯滝、竜頭の滝と併せて奥日光三名瀑とも言われ、日光・奥日光の三名瀑を合わせて日光五名瀑と称されることもある。滝から落ちる水の量は平均3tと言われている多いときは100tになることもある。少ないときは0.3t以下になることもある。大尻川からは水量をコントロールできるようになっていて、下流に水力発電所があり、電力需要や防災等により調節している。中禅寺湖から漏出した伏流水が中段部分から表出して、十二滝と呼ばれる無数の滝が簾状に並んで流れ落ち、年中を通して涸れることがない。直下型の華厳滝と相まって優れた景観を作りだしている。滝の下流部には華厳滝が形成した華厳渓谷が続いており、崩れやすい男体山の噴出物を浸食しながら現在の位置へと移動した。一説によれば太古の華厳滝は800mほど下流にあった。1986年(昭和61年)には滝口の一部が崩落した。観光に配慮して外から見えないように、危険な崩落の進行を防止する補強工事がされている。滝付近の大谷川北岸には観光客向けの有料の華厳滝エレベーターが設置されており、エレベーターで降りた観瀑台からは滝壷を正面間近に見ることができる。また、エレベーターの駐車場がある渓谷北岸から見下ろす位置にも観瀑台が設けられているほか、第二いろは坂の中腹から明智平ロープウェイが通じている明智平から眺めることもできる。やや遠方にある明智平の展望台からは、中禅寺湖や男体山を滝と共に一望することができる。1931年、国の名勝に指定(「華厳瀑および中宮祠湖(中禅寺湖)湖畔」)。2007年、日本の地質百選に選定(「華厳の滝」)。日光駅・東武日光駅から東武バス日光の「中禅寺温泉駅」で下車して、徒歩5分でつく。明治36年(1903年)5月22日、一高生の藤村操がこの滝の近くにある樫の木を削り、「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して投身自殺した。その後彼に影響を受けた自殺が相次いだため、自殺の名所という評判が立ってしまった。藤村の「巖頭之感」の続きは以下の通りである。なお、現在は自殺はほとんど無い。中禅寺湖から華厳滝上流側までの流れは、厳密には大谷川とは別の川とされ、大尻川(おおじりがわ)と呼ばれている。中禅寺湖から華厳の滝までの距離はごく短いため、大尻川は日光でも特に短い川の一つである。華厳滝の下流側には、大谷川に沿って華厳渓谷と呼ばれるV字谷が続いていている。男体山の噴出物でできた谷は崩れやすく危険であることから、現代においては無断での立ち入りが禁じられているが、渓谷上流域や渓谷へと注ぐ支流の沢には阿含滝(あごんのたき)、涅槃滝(ねはんのたき)、白雲滝(しらくものたき)といった幾つかの滝がかかっている。なお白雲滝は明智平の展望台から華厳の滝の隣にその姿を、大谷川本流にかかる涅槃滝は華厳滝観瀑台の足元直下にその姿を見ることができる。渓谷は、華厳滝と阿含滝が崩れやすい谷を浸食することによって形成されたといわれる。かつて渓谷の上流域には遊歩道が設けられており、1950年代頃まではハイキングコースとして用いられ、古くは渓谷の途中には茶屋や、岩壁を登って白雲滝の観瀑台へと至る道などもあったという。現代においては、この旧遊歩道は渓谷内にある馬道発電所の管理用通路として用いられており、立ち入るには馬道発電所の許可が必要となっている。渓谷の下流部は第一いろは坂となっており、この辺りからは大谷川支流にかかる方等滝(ほうとうのたき)、般若滝(はんにゃのたき)などの滝を見ることができる。渓谷は第一いろは坂と第二いろは坂の分岐・合流点である「馬返」と呼ばれる場所まで続いており、馬返という地名は奥日光地域が女人牛馬禁制であったことに由来している(詳細は「いろは坂」を参照)。
出典:wikipedia
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