隣人訴訟(りんじんそしょう)とは、1977年(昭和52年)から1983年(昭和58年)に起きた、日本における民事訴訟事件。契約と不法行為の境界など民法学上の価値があるだけでなく、当時の日本における法意識について探る上でも示唆に富んだ事件である。XX夫婦およびYY夫婦は、三重県鈴鹿市内の新興住宅地の同じ町内に居住し、親しく交際する間柄であった。1977年5月8日、XXらの長男であるAは、YYらの三男であるBと、YYの自宅の近くで自転車に乗るなどして遊んでいた。同日午後3時ごろ、Aの母Xは買い物に出かけるに際しAを連れて行こうとしたところ、Aはこれを拒んだ。Xは、Yの口ぞえもあって、「使いにゆくからよろしく頼む」旨をYに告げ、Yもこれをうけた(ただし、この点の事実認定については争いがあった)。しかしXが買い物に行っている間に、Aは近くにあったため池に入り、溺死した。その間YYらは自宅内で仕事をしており、Aが池に入っていることはBに告げられるまで気づかなかった。XおよびXは、YおよびY、鈴鹿市、国、三重県、およびため池から土砂を採取していた建築業者に対し損害賠償請求を行った。すなわち、に基づいて請求した。津地方裁判所による判決(1983年2月25日)は、以下のように述べて、原告のY、Yに対する請求を一部認容した。また、国・県・市・建築業者については、以下のように述べて請求を全て棄却した。被告YYはこれを不服として控訴した。法律構成がこれに似た事案は既にあり、似たような結論が裁判所によって下されていた。しかし、隣人同士のやり取りについても法的責任が追及されることを認めたこの判決は、世論にもかなり大きな衝撃を与えた。「近所づきあいに冷や水をさす」として否定的な評価が多くマスメディアから報じられたこともあり、この判決に対する世論の批判は強かった。その批判は、曲折した形で訴訟当事者へ向かった。判決が報じられると同時に原告夫婦に対し非難の手紙や電話が殺到し、中には脅迫じみたものなど嫌がらせも多くあった。その結果原告夫婦は転居を余儀なくされ、ついには訴えの取り下げに追い込まれた。被告夫婦は控訴審で争う意思であったが、彼らに対しても嫌がらせの手紙や電話が相次ぎ、訴えの取り下げに同意するに至った。このような事態に対し、法務省は「日本国憲法第32条で保障された、裁判を受ける権利の侵害の疑いがある」として、日本国民に自粛を求める見解を発表した。この事件については、法社会学の立場から検討が加えられている。世論の判決に対する強い反発は、日常的なトラブルについて司法権が介入し、金銭的解決を当事者に強制することに対する生理的嫌悪感によるのではないかとも言われている。また、当時法化現象が急速に進展していたことの証左としてこの事件を捉える見方も存在する。
出典:wikipedia
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