くろがね線(くろがねせん)は、新日鐵住金(旧・新日本製鐵)が福岡県北九州市戸畑区・八幡東区に設けている八幡製鐵所の、戸畑地区と八幡地区を結ぶために敷設した専用鉄道の通称である。八幡製鐵所では、戸畑で操業していた東洋製鐵と1921年に合併した当時から、戸畑地区で生成する熔銑を船舶で八幡へと輸送していたが、海上輸送のリスクと不経済性が指摘されていた。一方八幡地区では、鉄の製錬過程で発生する鉱滓の処理が問題化していた。これらの打開策として建設されたのが、くろがね線である。1927年3月に起工し、1930年2月に開業した。開業当初は、戸畑から八幡へは銑鉄を輸送し、鉄の製錬工程の一端を担う一方、八幡から戸畑へは埋め立て用の鉱滓を輸送し、戸畑地区の拡張に寄与した。開業時は炭滓線(たんさいせん)と命名されていたが、炭滓の輸送がほとんどなくなったことから1972年に社員公募を実施し、現在のくろがね線という通称が生まれている。日本国有鉄道(現:九州旅客鉄道、日本貨物鉄道)とは運用上の繋がりのない路線ではあるものの、国鉄線を介して原料・製品輸送を行う都合上、軌間・車両限界については国鉄在来線と同等である。開業時より直流600Vで電化されている。総延長はおよそ6kmで、当初は輸送量も多かったことから複線であった。戸畑地区への設備集約と八幡地区の縮小によって当路線の輸送量も減り、現在では単線化されている。途中、鹿児島本線と二回立体交差する。また山を避けて敷設された鹿児島本線とは異なり、当専用鉄道は山をトンネルで突き抜けるように敷設されたが、その宮田山トンネル(総延長1,179m)は出水に見舞われて難工事となった。電気機関車が本務機として列車の先頭にたち、ディーゼル機関車が後部補機として連結されるのが標準的な編成である。当製鉄所構内の貨車には、一般的な鉄道車両のようにブレーキ管が引き通されていないため、停止時のブレーキ力を得るために緩急車として後部補機が連結される。列車によっては、ディーゼル機関車2両によるプッシュプルや、補機が連結されない場合もある。貨車は台車(国鉄でいう長物車)が中心で、積荷は列車によって異なり、半製品のスラブやホットコイル、鉄スクラップ(鋼矢板や鉄道用レール)など多様である。日本国内ではあまり馴染みが無いが欧州各国ではよくみかける防水フード付台車が使用されているのも特徴である。機関車は、沿線が宅地化されてから1970年代以降に導入されたものが使用されており、防音対策が施されている。軌道は工場敷地外では切通や高架区間が多く、現在では公道と交差する踏切はない。公道と並走する区間もあるが、高いフェンスが張られていて部外者の侵入を防いでいる。
出典:wikipedia
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