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今村教会堂

今村教会堂(いまむらきょうかいどう)は、福岡県三井郡大刀洗町大字今にあるキリスト教(カトリック)の聖堂である。旧称である「今村天主堂」と呼ばれることも多いが、正式名称はカトリック今村教会(カトリックいまむらきょうかい)。1913年(大正2年)に建築された赤煉瓦造りの教会堂は2015年に国の重要文化財に指定されている。今地区(以下、今村)は、江戸時代に隠れキリシタンとして信仰を守った人々が多く暮したという歴史を持つ。今村のキリスト教信仰は戦国時代にさかのぼるとされる。大友宗麟の支配下にあった1560年代には早くも信徒集団があらわれたといい、16世紀末に筑後の領主となった毛利秀包も熱心なキリシタン大名であったが、起源ははっきりしない。徳川幕府による禁教令以後も、今村の信徒たちは隠れキリシタンとして信仰を続けていた。現在の聖堂の祭壇は、江戸時代初期に殉教し、その後地元信徒の崇敬を集めたジョアン又右衛門の墓の上に設けられている。幕末、長崎・大浦天主堂のベルナール・プティジャン神父は、隠れキリシタンの発見と正統な信仰への復帰に努めていた。プティジャン神父とその信徒たちにより、1867年(慶応3年)に今村のキリシタンたちが「発見」される。今村地域には200戸ほど(今村に100戸ほど、周辺に100戸ほど)のキリシタンが潜伏していた。隠れキリシタンが多く存在した九州でも、平野部でのキリシタン発見は極めて稀なことであった。1873年(明治6年)のキリシタン禁令解禁まで、今村の信徒と大浦天主堂は密かな連絡を保ち、信仰を守った。1879年(明治12年)10月、大浦からジャン・マリー・コール神父が今村の信徒の司牧に着任し、1年間で1063名に洗礼を授けた。このときはまだ聖堂はなく、青木才八家の土蔵をミサに使用していた。1880年(明治13年)11月にはミシェル・ソーレが今村に着任、以後1889年(明治22年)までこの地にあった。今村に最初の聖堂が建てられたのは、1881年(明治14年)のことである。この聖堂はまもなく手狭になり、1887年(明治20年)に増築されている。1896年(明治29年)9月に着任した第4代主任司祭 本田保は、教会の改築計画を立て、海外にも広く寄付を募った。とくにドイツからは多くの浄財が寄せられたという。現在の聖堂は鉄川与助の設計のもと、1912年(明治45年)に着工。軟弱な地盤を克服する苦心の工事であったが、信徒の労働奉仕も受け、1913年(大正2年)12月8日に竣工した。聖堂は、正面に六角形の双塔を持つロマネスク様式の赤レンガ建築で、長崎の旧浦上天主堂(原爆で消失)を一回り小さくした設計で造られ、国内のレンガ造りの教会堂としては、唯一の双塔となる。設計・施工にあたったのは、長崎県を中心に九州地方で多くの教会堂建築を手がけた鉄川与助であり、彼の7棟目の教会建築となる。近代の赤レンガ建築への関心から、以下のように高い評価を得ている。2006年(平成18年)、「今村教会堂」の名称で福岡県指定有形文化財に指定され、2015年に国の重要文化財に指定された。

出典:wikipedia

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