牛岐城(うしきじょう)は、徳島県阿南市富岡町殿町にある日本の城跡。別名は富岡城、浮亀城。海部郡牟岐町にある「牟岐城」とは異なる。築城年代は明らかにされていないが、至徳年間(1384年 - 1386年)に細川氏に従っていた新開実重が、阿波国に入った際に築城した説が有力である。天正10年(1582年)、城主であった新開実綱(新開道善)が長宗我部元親に謀殺され、香宗我部親泰が入った。あ天正13年(1585年)、蜂須賀家政が阿波国を領有とし、支城群阿波九城の一つとして家老である賀島主水正政慶に1万石を与え、城代とした。政慶は入城後、牛岐の地を富岡と改名したため、牛岐城も富岡城と呼ばれるようになった。その後、寛永15年(1638年)に一国一城令により廃城となった。城のあった小山の周囲に堀を巡らせていたと窺えるが、宅地開発などにより遺構のほとんどは失われている。かろうじて残った元の城山の南半分の頂上に、八角形の展望室を設置するなどした「牛岐城址公園」となっている。産業記念館(後に牛岐城資料館)の建設前に行なわれた発掘調査で、主郭部分に石垣が認められ、徳島城と同様の野面積みであったことが確認された。
出典:wikipedia
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