全日本自治団体労働組合(ぜんにほんじちだんたいろうどうくみあい、略称:自治労(じちろう)、英語:All-Japan Prefectural and Municipal Workers Union、略称:JICHIRO)は、日本の地方自治体職員などによる労働組合の連合体で合同労働組合でもある。日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、国際公務労連(PSI)に加盟している。2010年5月27日~28日に開催された中央委員会で自治労自身が発表した組合員数は、2,737単組・83万2,814人となっており、官公労の中では日本最大で、単位産業別組合(単産)としてはUAゼンセンに次ぐ第二位の組合である。また民進党の主な支持団体の一つであり、同党に組織内候補を輩出している。地方自治体の一般職員ほか、現業、公営企業、公共サービス団体、衛生・医療、社会福祉、国民健康保険連合会及び公営競技公営交通の労働者が加入している。また、組織統合により合同労働組合の役割も受け持つようになった。単組では2,700あまりが加入している。正式な組合歌は「自治労組合歌」だが、歌われる機会は「限りなき躍進」の方が多い。戦前、大阪市や横浜市などの職員(雇員)による労働組合が結成されたが、1940年前後に一旦解散している(大日本産業報国会の成立の影響)。戦後、大阪市や横浜市で市職員の労働組合が再建され、GHQの労働組合育成の方針と相まって、全国各地の自治体にも職員による労働組合が結成されていった。その後、1947年結成の日本自治団体労働組合総連合会(自治労連)の下に統一され、全日本産業別労働組合会議(産別会議)に加盟していた。だが、組織での日本共産党の勢力を排除したい産別民主化同盟(民同)系が自治労連を離脱し、1949年11月28日に全日本自治団体労働組合協議会(自治労協)を組織した。1954年1月29日、自治労連と自治労協は自治水協などと再統合し、全日本自治団体労働組合(自治労)を結成した。地方公務員法の職員団体と、地方公営企業労働関係法の労働組合の連合体としての発足であった。自治労はかつて日本労働組合総評議会(総評)に加盟し、以来総評内で左派路線を歩んだ。一方、各地の市長選挙での対応をめぐる対立などを端緒に、当時の自治労の左派色を嫌った一部の加盟組合が脱退し、1970年に同盟系(旧民社党系)の全国自治団体労働組合連合(全官公・自治労連)を結成した。1960年代後半から、定年制導入反対闘争や折からの労働運動の盛り上がりなどから、それまで上部団体を持たなかった自治体職員の職員団体・労働組合が自治労に加盟し、1970年代、日本最大の単産になった。1970年頃から自治労は、自治体の外郭団体や社会福祉法人などの労働組合の加入を認め、1982年、自治労200万建設運動によって、自治体の臨時職員、公社や事業団などの外郭団体職員など大きく組織化の対象を広げた。1982年には、地方公務員の単産という性格をもちながらも、自治体が経営に関与する職場で働く労働者を組合員にしていく路線を是認する方向で「自治労200万建設運動」の方針が決定し、大きく組織の位置づけを広げるはずであった。しかし、その後の連合への合流をめぐる主流派、反主流派の対立等で組織拡大はその目標どおりには進まず、1992年の「地域公共サービス産別建設」の方針決定まで、地方公務員の単産としての性格が大きく変わることはなかった。連合の結成に至る一連の流れでは組織分裂を引き起こした。連合の結成をめざす勢力は、「民間先行による労働戦線統一の基本構想(のちの連合の綱領路線)」(1981年)で、「自由にして民主的な労働組合」の路線と「西側の一員」論の立場に立ち、国際自由労連(ICFTU)加盟、批判勢力(共産党など)の排除を求めた。この動きを日本共産党の影響力の強い自治労反主流派(全国大会レベルで、約4分の1の勢力を持っていた)は、「労使協調」路線など特定の運動路線を踏み絵に、これを容認する組合だけを結集する「労働戦線の右翼的再編」、「産業報国会化」であり、政府・財界主導による国民・労働者犠牲の臨調・行革攻撃を支持し推進する「反共・労使一体、体制擁護」の路線に屈服する「労働運動の右傾化」だと批判した。反主流派は、1989年3月に自治労を事実上離脱し、自治体労組全国連絡協議会(自治体連絡協)=後の日本自治体労働組合総連合(全労連・自治労連)を結成した。自治労本部は、自治体連絡協に参加した単組のうち脱退を通告してきた組織の脱退を承認、脱退通告のないまま連絡協に参加した単組を独自に「脱退と判断」して自治労から除外する事を明確にする一方、産別帰属が明確でない加盟単組を「特別組織対策単組」に指定し、権利・義務関係を凍結、期限までに明確な態度を示さない単組は自治労から脱退したとみなす(事実上の除名処分)と通告して自治労結集を迫るなど正面からの対決を選んだ。 結果、29都道府県で自治労連の県本部が結成され、反主流派が主導権を持っていた自治労の7府県の本部(岩手県、埼玉県、千葉県、静岡県、愛知県、京都府、愛媛県)は一時、本部による直接の代理執行が行われるなど、機能に支障をきたしたものの、1990年3月までに全府県本部の再建を終え、反主流派主導だった東京都職労で多数を制するなど、上々の成果を挙げたとの総括がされた。また、「血を流してでも共産党と対決して連合に参加し、その主導権をとる」との決断を自治労執行部が行ったことが、その後の総評解散、総評系官公労の連合なだれ込みによる全的統一の実現を決定づけたとされる。ただし、連合はもともとIMF-JCの加盟単産が核となり、民間単産が先行して結成された経緯があるため、IMF-JCにも民間労組中心の同盟にも系譜を持たない自治労は、組合員数で連合の15%以上を占めている割には影響力は小さいと見る向きもある。1990年代頃からの労働組合の深刻な組織率低下は、1990年代後半から自治労にも波及し、組織自体は広がっても組合員数の減少は止まらず、今日では100万人を割り込むまでに落ち込んだ。この間、1992年に自治労の産業別組合としての位置づけを「地域公共サービス産別」とし、組合員を地方公務員や自治体が設置した外郭団体などの職員のほか、自治体の委託先企業の労働者をはじめ、公的サービスに従事する民間企業労働者を対象として広げた。加盟組合は、地方公務員、自治体が設立した公社・事業団等の職員、自治体の事業を受託する企業、社会福祉法人等の職員などの労働組合のほか、民間病院、専門学校、地区の医師会、土地改良連合会、NPO法人などの職員による労働組合もある。小泉政権が発足した後の2001年9月、保険会社との間の積立型共済の運用金の取扱手数料をめぐる裏金疑惑が発覚し、東京地検特捜部の捜査が行われ、法人税法違反の罪などで後藤森重・元中央執行委員長ほか2人が逮捕された(のちに執行猶予付の有罪判決)。この事件を受けて、自治労内に「再生委員会」が発足した。再生委員会は、内部統制の強化や経理の改革などの事件の処理を行うとともに、未組織労働者の組織化などを通じて社会的責任を全うするべきとの方向性を打ち出した。2000年代からは、同じ自治体関連労組との組織統合が始まり、2002年9月5日には公営競技の組合である全国競走労働組合と、2006年1月1日には合同労働組合である全国一般労働組合と組織統合を果たした。2001年には日本都市交通労働組合(都市交)、全日本水道労働組合(全水道)との組織統合の話が持ち上がった。自治労・都市交・全水道の三単産は2006年4月14日に地公三単産組織統合準備会を発足させ、完全な統合をめざし、過渡的な連合体として、2007年秋に地域公共サービス労働組合連合会(地域公共連合)を発足させた。これにあわせ、連合への加盟形態も、地域公共連合に変更した。2008年5月には石川県輪島市で開かれた中央委員会において、三単産の統合に伴い、自治労の名称変更をも視野に入れた基本方針が、執行部から提案され可決された。しかし、2009年5月に組織統合は断念された。その後、地域公共連合は解散し、連合の加盟単位も、それぞれの自治労、全水道、都市交に戻した。その後協議を進め、2013年1月の臨時大会で、都市交との組織統合に向けた内部合意をとりつけ、6月1日に都市交と組織統合を果たした。自治労は、組織拡大に積極的に挑戦し、非正規労働が社会問題化する直前の2005年から自治体の臨時・非常勤職員の組合員化を組織拡大の前面に立てている。しかし、地方公務員数の抑制による新規採用職員の絞込み、自治体の外郭団体や委託先事業の整理などが響き、組合員数の減少が続いている。自治労は、運動の理念や方向性を示すものとして、1954年の結成時に綱領を制定し、1976年に改定を行った。しかし、その内容は古典的な社会主義色が濃いものであり、地方公務員以外の組合員に共有が難しいものであった。このため、2003年9月の定期大会(続開大会)において、新たな綱領的文書として「自治労21世紀宣言」を決定した。公務員賃金が民間準拠であるという原則と、それにもとづく人事院勧告による国家公務員の賃金改定に準拠しなければならないため(地方公務員法第24条第3項)、2~3月の春闘で基本的な要求をし、細部の改定内容は自治体の12月議会の前に労使交渉で確定させる流れになっている。要求段階の取り組みを春闘、妥結段階の取り組みを確定闘争または秋闘とよぶ。労働協約締結権が認められていないため、労使交渉の結果について、最終的な拘束力はない。大きな流れは非現業公務員と同じだが、労使関係は地方公務員法ではなく地方公営企業労働関係法にもとづき労働協約締結権を有するため、労使交渉の結果について拘束力を持つ。自治体職員をはじめ、公共サービスに従事する労働者の雇用や賃金は、住民サービスや地域ニーズのありかたと切り離されないことから、結成後3年の1957年・地方自治研究集会を開いて以来、地方自治を住民とともに発展させていくために取り組んでいる地域発の政策活動である。地方公務員や公共サービスに従事する労働者の直接的な雇用・賃金に関わるところにとどまらない運動をしていることが、自治労の特色である。かつては看護師に対する夜勤制限がなく、現場では過酷な勤務を強いられていた。その結果、1968年には新潟県の県立病院において、看護師が過労死する事件が発生した。この事件を発端に「2人体制・月8回以内」の夜勤制限を求める実力闘争が新潟県から全国に広まり、その結果、官民問わず全国の病院職場に夜勤制限が定着することとなった。本部組織外部、その他地方組織全国競走労働組合(全競労)は公営競技の労働者の労働組合で、2002年9月5日に自治労と組織統合、全競労評議会を組織した。所属組合数は48。組合員の9割が女性であるのが特徴。全国一般労働組合(全国一般)は合同労働組合で、2006年1月1日に自治労と組織統合し、全国一般評議会を組織した。所属組合員数は約3万5,000人である。2005年12月19日、全国一般の第60回臨時大会が開かれ、同月末に組織を解散することを決定、続いて全国一般評議会の結成総会が行われ、初代の議長に浦俊治委員長を、初代の事務局長には三木茂書記次長を選出した。地方本部の統合については2008年までに順次、統合することとされた。各都道府県本部が地区連絡協議会(地連)を構成している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。