Tokyo Calling(トーキョーコーリング)は、大阪で結成された男性ヴォーカルユニット。2004年10月結成〜2009年12月活動休止。現在、無所属。ユニット名「Tokyo Calling」の由来は、「東京」と付けることで、アジアや世界に向けて「日本」を表現している(決して二人は東京生まれなどではない)。CALLは「発信する」INGは現在進行形。そしてこのTokyo Callingを集約すると、“ここ日本から世界に向けて音楽を発信している”という思いが込められている。TEPPEIとYU-KIは共に3歳の頃、福岡と北海道から親の転勤で大阪に引越してくる。その頃住んでいたお互いの家が目と鼻の先だったという。そしてここから二人の腐れ縁がはじまる。まず幼稚園で一緒になり、小学校、中学校、高校まで一緒という20年以上の幼なじみ。高校時代は2人とも軽音楽部に所属。TEPPEIはBUCK-TICKのコピーバンドでボーカルを担当、YU-KIはLUNA SEAのコピーバンドでギターを担当していた。ちなみにこの時のTEPPEIのバンド名は「B-VIRUS」(BUCK-TICKに寄生するウイルスという意味らしい)。YU-KIのバンド名は「満月ポン」(当時YU-KIが好んで食べていたお菓子の名前)この頃のYU-KIは化粧をしてバリバリのビジュアルメイクをしていた。高校卒業後の進路ではじめて道が分かれ、TEPPEIはデザインの専門学校へ進学。YU-KIは音楽の専門学校へ進学する。この頃から、徐々に連絡をとることも少なくなり、一時は疎遠状態になっていた時期でもある。TEPPEIは専門学校を卒業後すぐにグラフィックデザイナーとして就職する。そしてYU-KIは「IMPROVE(インプルーブ)」というミクスチャーバンド結成。バンド構成は5人。2ボーカルの1人がYU-KIだった。IMPROVEはインディーズでアルバム1枚、オムニバス1枚をリリースしており、この時のCDジャケットやバンドのロゴマークなどのアートディレクションを勤めていたのがTEPPEIである。二人の絡みと言えば、このIMPROVE以外ではこの時期なかった。そして2004年、やはりずっと燻っていた「音楽の道が諦められない」という理由でTEPPEIは2年間勤めていた会社を退社する。時同じくしてYU-KIは、「音楽性の違い」からバンドを解散してしまう。会社退社後のTEPPEIはというと、ギター片手にオーデョションを受けまくっていた。しかし結果は不合格続き。YU-KIは放浪の旅と称し生まれ故郷“北海道”へ帰郷する。数ヶ月が経ち何となく、TEPPEIがYU-KIに電話をかけ“もどってきてこっちで一緒にやれへん?”という言葉から、再び大阪にYU-KI を呼び戻す。その際に伊丹空港まで迎えに行ったのが事実上の「Tokyo Calling」きっかけとなった。ここから二人は精力的に動き出す、2004年10月、Tokyo Callingの幕開けとなる。2004年2005年(大阪城公園一帯イベント「オーサカキング」、関西テレビ「はちえもん茶屋 海の家」須磨海水浴場にて野外ライブなど)2006年2007年2008年3曲目「フラLetter」・4曲目「恋のカルテ」は松田純一の曲に合作でTokyo Callingも作詞で参加している。2009年5年間の活動に一旦ピリオドを打ち、12月31日で無期限活動休止を発表。同時に、所属事務所とのマネージメント契約も終了。シングルアルバム
出典:wikipedia
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