朝ノ霧 満(あさのきり みつる、1977年(昭和52年)1月5日 - )は、兵庫県明石市出身の元大相撲力士。本名は吉村 福満(よしむら ふくみつ)。最高位は東三段目56枚目(2000年5月場所)。身長179cm、体重105kg。得意手は左四つ、下手投げ。1992年(平成4年)3月場所に元大関朝潮の若松部屋に入門(部屋の同期に幕下60枚目格付出の朝乃若と朝乃翔がいる)。両親がアマチュア相撲に対する造詣を有しており、朝乃若や朝乃翔と音信を交わしていた縁であったことが入門に関係している。当初は比較的小柄な体格の上、すぐに体調を崩す、兄弟子とのコミュニケーションが取れないなどで、脱走は時間の問題と危惧された程だったが、熱心に稽古に勤しみ徐々に力を発揮し、1998年11月場所で三段目に昇進。髪結いは床山以上に上手いという評判であった。2000年5月場所には、自己最高位である東三段目56枚目に昇進。この場所では千代白鵬(後に幕内昇進)との対戦での反則負け(後述)が尾を引いたのか1勝6敗と大敗。それから1年後の2001年3月場所に出場したのを最後に引退した。引退後はスーパーマーケットに勤務した。2000年5月場所7日目、千代白鵬との対戦で組み合いの最中に朝ノ霧の廻し(前褌の部分)が急にゆるみ、行司の廻し待ったも間に合わず陰部が露わになったことにより鳴戸審判長(元横綱隆の里)から物言いがつき、「東方力士の前袋が落ちたので西方力士の勝ちとします」と場内に説明。朝ノ霧は勝負規定第16条に基づき反則負け(不浄負け)となった。これは、1917年5月場所3日目の十両男嶌と幕下友ノ山との対戦で男嶌が喫して以来83年ぶりの珍勝負であった。この取組は翌日の日刊スポーツにおいて一面トップに掲載され、ロイター通信によって世界にも打電された。また、『相撲で最もまれな負け方』としてギネスブックにも掲載された当事者である朝ノ霧は、一時的に身体が痩せた際に廻しが余り過ぎたため短く切ったが、身体が元に戻って今度は足りなくなってしまった。と原因を述べていた。尚、この取組の後、新しい廻し(7メートル5600円)を購入し、古い方は後年、好角家の漫画家・やくみつるに譲渡された。両者の対戦はこの1度限りだったが、この取組が縁となり千代白鵬が朝ノ霧の断髪式に出席して鋏を入れた、2005年1月場所で千代白鵬が新十両を確定させた際に朝ノ霧が日刊スポーツから取材を受けたなどの逸話もある。
出典:wikipedia
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