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是川遺跡

是川遺跡(これかわいせき)は、青森県八戸市大字是川中居にある縄文時代晩期の遺跡。別称是川石器時代遺跡ともいう。1957年(昭和32年)7月1日、国の史跡に指定されている。本遺跡は、市域南東部の新井田(にいだ)川沿いの標高10~30メートルの台地に広がる縄文時代の集落遺跡。縄文晩期を中心とする中居遺跡、縄文前期・中期の一王寺遺跡、縄文中期の堀田遺跡の3つの遺跡を総称して是川遺跡と呼ばれている。中居遺跡は、低湿地(沢地形)を主体とする遺跡で、大量の木の実の殻や遺物が捨てられていた。この捨て場から完形を保つ多数の土器や石器、漆塗りの多様な植物性遺物が検出された。また、土坑墓が検出され、赤色顔料がまかれた人骨が出土している(#主な出土品の節も参照)。一王寺遺跡は、長谷部言人による円筒土器の命名の地。山内清男と喜田貞吉による縄文土器の年代の下限をめぐる「ミネルバ論争」のもととなった遺跡でもある。縄文時代前期・中期の土器の他に、貝塚が見つかっており、獣骨や骨角器などが出土している。堀田遺跡では、縄文時代中期・後期の土器片が採取され、中期末の円形竪穴住居址、後期の集石遺構があるが、全容は明確でない。弥生時代前期の籾圧痕(もみあっこん)土器が出土し、当地への稲作伝播の時期が分かる。明治時代から本遺跡周辺で土器・石器が出土していた。1920年(大正9年)から、八戸の土地所有者泉山岩次郎と義弟の泉山斐次郎によって発掘された。出土遺物は大切に保管されていたが、戦後になって6000点あまりの収蔵品が八戸市へ寄贈された。遺跡は1957年(昭和32年)7月1日に国の史跡に指定され、1962年(昭和37年)には中居遺跡出土品633点が国の重要文化財に指定されている。1993年には縄文学習館建設予定地の発掘調査が実施され、1999年から2004年にかけて、泉山岩次郎らによる発掘調査以来80年を経て中居遺跡の範囲・内容確認の調査が行われた。これらの調査時の出土品のうち330点が2011年に重要文化財に追加指定されている。出土遺物は、文様が表現された縄文式土器や、祭祀などの際に用いられたと考えられ晩期特有の石棒や石剣、女性の姿を形どった土偶、 赤い漆が塗られた植物性容器、器の内・外側に赤漆が塗られた壺形土器・注口土器など、当時の工芸技術や精神世界を伝えるようなものが数多く、縄文晩期に東北地方一帯に広がった亀ヶ岡文化圏の内容を示す国内随一の資料と評されている。仲居遺跡の特殊泥炭層からは、クルミ・トチ・ナラなどの果実の種、木製の腕輪・耳飾り・土器・石器・木器・漆器・弓・大刀・琴・櫛・樹皮製品・土偶・骨角器・動物遺体などが出土している。さらに、弥生時代前期の遠賀川系土器も出土している。出土遺物は主に是川縄文館に所蔵されている。遺跡周辺には1963年に是川考古館、1975年に八戸市歴史民俗資料館、1994年に八戸市縄文学習館がそれぞれ開設された。2011年(平成23年)7月10日には是川縄文館が開館し、縄文学習館は是川縄文館の附属施設となった。

出典:wikipedia

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