江当軌道(えとうきどう)は、かつて北海道石狩郡当別村(現当別町)と札幌郡江別町(現江別市)を結んでいた軌道路線、あるいはそれを運営していた軌道経営者である。国鉄札沼南線(後の札沼線)開通により補償をうけ廃止された。当別村 - 江別町間で軌道による旅客及び一般貨物の運輸、それと倉庫業の経営、ならびに乗合自動車での旅客運輸を目的に設立された。1926年(大正15年)1月に開かれた設立会議にて、発起人である池田一修のほかに4名が取締役にして選出され、さらにその5名による互選から池田が社長に選ばれた。資本金は15万円、3000株だった。もとは馬車鉄道として1925年(大正14年)9月12日に特許状が下付されていたが、1926年(大正15年)9月20日に動力を蒸気へ変更することの申請をし、開業直前の1927年(昭和2年)5月11日になって許可を受けた。8月に開業したが江別では石狩川、当別では当別川に遮られ両市街地に乗り入れることができなかった。道庁では国鉄と接続しないことを危惧し会社に石狩川を渡るように指導したが架橋する余力などなく、また石狩大橋を鉄道道路併用橋にするのには幅員が不足していた。さて収支状況であるが開業して以来一度も黒字を出すことはなかった。貨物が期待していたほどでなかったのが原因であるが、道庁補助金によりなんとか会社を維持していた。ところが、1934年(昭和9年)11月に札沼南線が開通すると、貨客とも大幅に減少し営業が成り立たない状況におちいってしまった。そこで国に対し軌道法26条による補償の申請をした結果、補償を受けることになり廃止された。開業時は4往復、所要時間50分であった。当別発午前6:40、午前10:50、午後2:00、午後5:00 江別発午前9:00、午後12:00、午後3:40、午後6:43冬期は積雪のため運休しており、馬橇が使用された。当別駅(とうべつ)0.0km - 蕨岱駅(わらびたい) - 六号駅(ろくごう) - 三原駅(さんげん) - 江別駅(えべつ)11.3km江別駅は国鉄函館本線江別駅とは位置が違い、石狩川を挟んだ江別市街の反対側の石狩大橋のたもとにあった。そのため、江当軌道の江別駅からは自動車輸送で国鉄江別駅まで輸送を行っていた。軌道の開業に先立ち1927年(昭和2年)5月に弁華別小学校前、当別停車場、中小屋を結ぶ路線の運行を開始した。当初はフォード社製の6人乗りで1日1往復であったが、1931年(昭和6年)に月形まで延長し1日2往復となり1933年(昭和8年)にシボレー社製の10人乗りが加わった。1935年(昭和10年)頃の営業キロは47キロ、保有車両は6台であった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。