高橋 守雄(たかはし もりお、1883年(明治16年)1月1日 - 1957年(昭和32年)5月6日)は、日本の内務官僚である。熊本県上益城郡浜町(現山都町)の士族高橋家の長男として生まれる。済々黌を経て1908年に東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格。翌年内務省に入り、警視庁警視となる。その後、石川県事務官・警察部長、岐阜県警察部長、新潟県警察部長、新潟県内務部長、京都府内務部長、内務監察官等を経て、1922年に第7代熊本市長となった。熊本市長時代には、市内の近代化を推進し、上水道や市電の整備、旧十三連隊跡の市街地編入の三大事業を完成させた。その後も順調に昇進を続け、滋賀県知事、長野県知事、兵庫県知事、台湾総督府総務長官等を歴任した。そして、1934年、第34代警視総監に就任した。退官後は熊本に帰り、1941年東洋語学専門学校理事、戦後は同校長となっている。同校は1950年、熊本短期大学となり、1954年4年制度の熊本商科大学を開校させ、初代学長になっている。同校は現在熊本学園大学となった。また、熊本市は彼の功績を讃え、熊本市名誉市民とした。また、彼は熊日社会賞を受賞、熊本県近代文化功労者にもなっている。1957年に死去した。ハンセン病患者の子弟の通学問題でこじれた龍田寮事件(黒髪校事件ともいう)を解決するために、ハンセン病患者の子弟3人を自宅に引き取り、問題の解決に大いに貢献した。
出典:wikipedia
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