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ツール・ド・フランス2008 第12-第21ステージ結果

ツール・ド・フランス2008の第12ステージから、第21ステージまでの結果を列記する。当ステージ開始前に、前ステージまで総合9位、また山岳賞並びに新人賞部門でトップに立っていたリカルド・リッコにEPO陽性反応が出たことにより、リッコは今大会から除外され、また、リッコが所属するサウニエル・ドゥバル=スコットチームも撤退することになったことから、前ステージで総合8位だった同チーム所属のフアン・ホセ・コーボ、同じく山岳賞部門2位だった、ダビド・デ・ラ・フエンテらも棄権を余儀なくされた。アルプス越えステージ第1ラウンドとなった当ステージ。序盤から区間上位順位の4人がトップ集団を形成したまま、最後はクレディ・アグリコールのサイモン・ジェランが制した。次位集団は、総合首位争いに加わる選手が多数含まれ、ゴール直前まで総合上位陣によるアタックの応酬となったが、終盤で当集団から脱落し、結局区間13位に終わった、前日までマイヨ・ジョーヌのカデル・エヴァンスに対し、1秒差の同総合2位につけていたフランク・シュレクがエヴァンスに9秒の差をつけて区間9位でゴールし、自身初のマイヨ・ジョーヌを手中に収めた。総合2位には第2集団から最後は抜け出し、区間5位に入ったベルンハルト・コールが7秒差で続き、エヴァンスは8秒差の3位に後退した。なお、今大会区間4勝をマークした、マーク・カヴェンディッシュが、疲労と北京オリンピックへの調整を理由に、当ステージ前に帰郷。また、2006年のツール・ド・フランス総合優勝者、オスカル・ペレイロが、大量落車事故に巻き込まれて棄権を余儀なくされた。当ステージ2回目のスプリントポイント地点となったヴィナディオを通過後、シュテファン・シューマッハーが単独でアタック。フランス国境に近い、当ステージ1回目のカテゴリー超級地点である、ロンバルデ峠をトップで通過。だが、2回目のカテゴリー超級地点、標高2802mのボネト・レストフォン頂上に至るまでに次位集団が吸収。ゴールのジョーズィエールでは集団から抜け出した4選手の区間優勝争いとなったが、シリル・デセルが制した。一方、総合上位陣は前ステージとは違い、互いに牽制しあう形のレース展開となった。結局、マイヨ・ジョーヌのフランク・シュレクは区間12位、総合2位のベルンハルト・コールは同10位、総合3位のカデル・エヴァンスは同11位と、いずれも同タイムゴールとなり、上位3名に順位の変動はなかった。この他、前日まで総合5位のカルロス・サストレもシュレクらと同タイムゴール。総合4位に浮上した。対して、前日まで総合4位だったデニス・メンショフは終盤で遅れ、フランク・シュレクらに遅れること31秒差の区間21位。総合5位に後退した。2年ぶりにラルプ・デュエズのゴール地点が組まれた当ステージ。またその道中にはガリビエ峠、ラ・クロワ・ド・フェル峠という、カテゴリー超級地点が立ちはだかり、今大会最大の難関ステージとあいまった。序盤は、シュテファン・シューマッハー、ルーベン・ペレス、レミ・ディグレゴリオ、ペーター・ヴェリトスの4名が先頭集団を形成。これにマイヨ・ジョーヌのフランク・シュレクら総合上位陣が加わる大集団が続く展開となった。最初の難関、ガリビエ峠はシューマッハーが首位で通過。その後、下りを利してシューマッハーが単独で抜け出しにかかり、これについていったのはヴェリトスだけ。他選手は次第に脱落していき、後に大集団に飲み込まれていった。残りあと約61km地点でヴェリトスがシューマッハーを捕らえると、今度は自ら単独走行。続く大集団との差を一時は2分近く離す。当ステージ2つ目の超級地点・ラ・クロワ・ド・フェル峠はヴェリトスがトップで通過。しかしこの後、大集団が次第にヴェリトスとの差を縮めていき、その集団の中からジェローム・ピノーが抜け出し、プール・ドワザンでのスプリントポイントでは、ヴェリトスを交わしてトップで通過、その後ヴェリトスは脱落し、残りあと約15km地点ではピノーが単独でトップに立った。だが、ラルプ・デュエズへ向けての上り道へと入った残りあと約13km地点で、カルロス・サストレが一気にスパートをかけてピノーを交わし、単独で先頭。これにフランク・シュレク、ベルンハルト・コール、カデル・エヴァンスの総合上位3名及び、クリスチャン・ヴァンデヴェルデ、アレハンドロ・バルベルデ、アンディ・シュレク、ウラディミール・エフィムキン、タデイ・ヴァリャヴェッチらが次位集団を形成。この中から随時アタックがかけられるも、サストレとチームメイトである、チームCSC-サクソバンクのシュレク兄弟がその都度抑えにかかり、追撃どころか、逆にサストレのリードは広がるばかり。すると、一時はこの集団から脱落したデニス・メンショフや、追い上げてきたサムエル・サンチェスがさらにこの集団に加わった。サストレは次位集団に2分以上の差をつける圧勝で見事ラルプ・デュエズを制し、同時にマイヨ・ジョーヌも奪取した。2位には漸く終盤になって大集団から抜け出したサムエル・サンチェスが2分3秒差で入り、フランク・シュレクは2分13秒差の5位。コール、エヴァンスはさらに2秒遅れでゴールした。事実上、当年のツール・ド・フランスの趨勢を決する最後のステージとなった。区間優勝は、36km地点のラップではファビアン・カンチェラーラに12秒の遅れを取っていたものの、47km地点のラップでは逆に14秒の差をつけ、最後は区間2位のカンチェラーラに21秒差をつけたシュテファン・シューマッハーが、第4ステージに続き、当ステージの個人タイムトライアルを制した。さて、総合優勝争いに目を向けると、総合10位以内の選手の中では、総合時間差及び個人タイムトライアルの過去の実績から考えて、逆転の可能性が残っていたのは実質、総合4位のカデル・エヴァンスだけと言っても過言ではなかった。しかしエヴァンスは硬くなってしまったのか、序盤の18km地点のラップでは22分8秒に止まり、同3位につけていたベルンハルト・コールよりも4秒ほど遅れてしまった。一方、マイヨ・ジョーヌのカルロス・サストレは同地点のラップタイムは、エヴァンスに対し8秒遅れ。その後もエヴァンスはサストレに対してジリジリとしかタイム差を縮めることができず、1時間5分56秒でフィニッシュ。一方サストレは、第4ステージの個人タイムトライアルではエヴァンスに1分16秒の差をつけられたが、当区間では1時間6分25秒でフィニッシュし、エヴァンスに29秒しか差を縮めさせなかった。結局、サストレがマイヨ・ジョーヌを堅持。総合優勝をほぼ手中にした。

出典:wikipedia

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