


京橋(きょうばし)は、広島県広島市の京橋川にかかる道路橋。現存するものでは市内最古の鋼橋で、被爆橋梁の1つ。土木学会選奨土木遺産。橋名の由来は下記歴史参照。京橋川および京橋町の名はこの橋名を由来としている。なお、桁外面をコンクリートでコーティングしているため、一見すると鉄筋コンクリート橋だが鋼橋である。最初の架橋年度は1591年。広島城開城のころである。元々は西国街道筋の橋であり、その後国道筋の橋であったが、現在は市道の橋である。昭和初期になり永久橋化され、広島市への原子爆弾投下の際にも落橋を免れ現存している。2012年現在、栄橋・比治山橋・猿猴橋・荒神橋・観光橋と共に、現存する被爆橋梁の1つである。その中で最も爆心地近くに位置する。"本項において、2000年7月1日に土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会が作成した『歴史的鋼橋調査台帳』からの数字を主に参照し、広島市が公開している数字は測定年度が不明であるため括弧書きで表記した。"この地は太田川下流域三角州地帯内にあり、戦国時代以前には低地の砂地が広がる土地であった。安土桃山時代、毛利輝元により広島城が築城されると城下町として発展した。京橋は輝元が入城した1591年(天正19年)に木橋として架橋している。橋名の由来は、「京都へ続く橋」から命名された(城から京都(東)方向へ向かう場合、最初に渡る橋がここ。右絵図面参照。)。江戸時代になると、毛利氏の次に入城した福島正則によって城下町は拡大整備され、それまで山沿いを通っていた山陽道(西国街道)を城下に引き込み、この橋は西国街道筋の橋となった。福島正則の改易によって浅野長晟が入城し、1635年(寛永12年)武家諸法度によって参勤交代が義務化されると、この橋は猿猴橋とともに浅野氏広島藩の参勤交代ルートとなった。また、防犯上の理由により城下は架橋制限されていたことから、この橋は京橋川唯一の橋梁であった。また当時城下はかなりの頻度で洪水被害に遭遇しており、その際にこの橋も落橋した可能性が高いが記録等は不明である。この時代、厳島神社の管絃祭において、「御供船」と呼ばれる管絃船の後ろをついていく船を、城下それぞれの川で造られていた。この船は京都祇園祭の山鉾を真似し、年々豪華に飾り立てた。1852年(嘉永5年)、京橋川に浮かぶ御供船を見物する民衆たちによって京橋が崩落し、死傷者が発生する事故が起きている。明治以降になると国道2号筋の橋として機能した。1894年(明治27年)、日清戦争勃発、広島城内に広島大本営が設置される。東京から行啓してきた明治天皇は広島駅からこの橋を通り大本営へ入っている。その後、国道整備の一環として猿猴橋とともに永久橋化が決定した。1926年7月、起工。1927年(昭和2年)8月、鋼橋に架け替えられ、同年8月3日に開通式が行われた。当時は、親柱および中柱の頂部に金属製の飾りが設けられた豪華な橋で、開通式には多くの人が訪れ混雑を極めた。戦前は、鎮台・のちの第5師団・のちに広島大本営と旧陸軍の重要施設が置かれた広島城と、広島駅や東練兵場(現在の広島駅北側、東区光町・若草町一帯に所在した(地図参照))を結ぶ主要な橋であった。金属製の飾りはその後、太平洋戦争中に金属類回収令によって1943年(昭和18年)には取り外され、その後は石造りの本体だけとなった。1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。ここは爆心地より約1.38キロメートル離れた所に位置した。爆風方向に架かっていたため落橋はせず、被害は両側に建つ親柱の上部がずれた程度だった。そのため、広島市内から当時救護所に指定されていた東練兵場への避難経路、あるいは市内中心部へ向かう救援活動の通り道として使われた。周辺の建物は両岸共に全焼している。同年9月の枕崎台風および同年10月の阿久根台風による水害により市内の橋が次々と落橋する中、この橋はそれにも耐えている。1950年(昭和25年)稲荷大橋、1966年(昭和41年)10月上柳橋と上下流に広幅員の橋が架橋したことにより主要幹線から外れ交通量が減り、現在は地元住民の生活道路として使用されている。1993年(平成5年)、広島市は被爆建造物を新たにリストアップしなおし、その際にこの橋は被爆橋梁台帳に記載された。被爆橋梁という歴史的に意義のある橋ということから、広島市は管理する全2818橋の中でも優先的に維持管理を行っている。2011年(平成23年)、土木学会選奨土木遺産に選定された。上流側に城南通り(広島市道中広宇品線)筋の上柳橋、下流側に広島県道164号広島海田線と広島電鉄本線の通る稲荷大橋がある。ここから東に進んで駅前通り(広島市道駅前吉島線)から駅前大橋を渡ればJR広島駅にたどり着く。旧西国街道筋の橋であり、昔は東に道沿いに進めば猿猴橋にたどり着いていた。京橋川の西岸、特に栄橋からこの橋までの間にはさまざまな造りの雁木が残っている。現在所在が判明しているものとしては国内最大級の河川用の雁木群であり、これら雁木群も土木学会選奨土木遺産に選定されている。また西岸は、2004年から水辺の環境を活かしてオープンカフェが整備されている。西側には世界平和記念聖堂、エリザベト音楽大学、広島市立幟町小学校、東側には広島グランドインテリジェントホテルなどが存在する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。