西殿塚古墳(にしとのつかこふん/にしとのづかこふん)は、奈良県天理市中山町にある古墳。形状は前方後円墳。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」として第26代継体天皇皇后の手白香皇女の陵に治定されている。天理市南部に広がる大和古墳群の中でも最大の大きさであり、延喜式で山辺郡にあったとされる手白香皇女衾田陵の位置にあたるため、宮内庁により手白香皇女衾田陵に治定されている。しかし箸墓古墳と同様の吉備様式の特殊器台が後円部に並び、埴輪や墳丘の形態等からも箸墓古墳に続く時期の大王墓という見方がある。こうして築造時期は3世紀後半から4世紀初めごろと想定されている。これらの見方では築造時期が手白香皇女の生没年と全く合わない。その場合に、衾田陵は延喜式でいう山辺郡でも推定築造時期が6世紀と考えられている周辺唯一の古墳である西山塚古墳とする説がある。衾田陵と捉えずに別の被葬者を推定する試みとして、崇神陵の陵守が衾田陵を合わせて守っていたという記録から、この西殿塚古墳こそが崇神天皇陵であったという解釈がある。あるいは、箸墓古墳の被葬者を卑弥呼と考え、それに続く大王とみて、台与らその次世代の王と陵墓とする考えるものもある。宮内庁が管理しており、研究者や国民の立ち入りは禁じられているが、2012年(平成24年)に盗掘された。龍王山の山の斜面に横向きに築造されている。前方部を南、後円部を北に向けたほぼ南北方向に主軸をおいている。墳丘は全長が234メートル、後円部の直径135メートル、前方部の幅118メートル。三段築成で葺石が葺かれている。後円部は正円形、前方部の側面は緩やかに弧状をなし端部で開き、正面ではわずかに撥形をしている。段築が認められるが、前方部の段築がくびれ部で解消してしまい後円部につながっていない。周濠は、地山を少し掘り下げて造っている。葺石と円筒埴輪が確認されている。この古墳の形態的特徴として、後円部の墳頂に方形壇(一辺35メートル、高さ2.6メートルの正方形)が造られ、前方部にも同じ形(一辺22メートル、高さ2.2メートル)でやや小さい壇が総石積みで築造されているという点がある。このため、後円部と前方部の方形壇の下にそれぞれ別人の埋葬施設が存在したという見方がある。方形壇は死者を埋葬してからその上に祭祀用に広大な壇を造ったものとみられており、箸墓古墳の段階ではまだつくられておらず、壇の設営としては初期の頃のものと考えられる。1988年(昭和63年)、宮内庁の報告で特殊器台・特殊壺の存在が明らかになった。1993年(平成5年)、口縁部直径は50センチメートルから70センチメントールある大型品で有黒斑・有段口縁を持つ器台型埴輪、最古の都月型円筒埴輪が大量に出土した。口縁部外面に鋸歯文の線刻を施しており、外面は横ハケ、縦ハケ、内面はナデ調整している。壺形埴輪もあった。墳頂部で使用されていた可能性が強い。
出典:wikipedia
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