ヒューズ・エア・ウエスト706便空中衝突事故(Hughes Airwest Flight 706)とは。アメリカ合衆国カリフォルニア州で発生した民間航空機と戦闘機が空中衝突した航空事故である。1971年6月6日、ヒューズ・エア・ウエスト706便はロサンゼルス国際空港を現地時間の午後6時02分に離陸した。この便はソルトレイクシティを経由してシアトルを最終目的地とするフライトプランであった。この便はDC-9-31(機体記号:N9345)で運航されており、乗員5人と乗客44人が搭乗していた。一方のアメリカ合衆国海兵隊所属のF-4BファントムⅡ戦闘機(シリアルナンバー:151458)は、ネバダ州リノ近郊のファロン基地を午後5時16分に離陸した。こちらには乗員2人が搭乗していた。またカリフォルニアのエルトロ海兵隊基地に向けて有視界飛行していた。706便が巡航高度33,000フィートにむけて離陸上昇中であった午後6時11分に、15,150フィートで2機は空中衝突した。2機はほぼ直角で衝突しており戦闘機の垂直尾翼がDC-9の操縦席の左下方を突き破り、右翼が客室を切り裂いてしまった。空中衝突した地点はロサンゼルスのダウンタウンから北東30km離れたサン・ガブリエル山脈上空であった。706便はフィッシュキャニオンに激突して大破炎上したため生存者がいなかった。また戦闘機のパイロットはキャノピーが外れず機体と運命をともにしたが、同乗していたレーダー迎撃士官はパラシュートで脱出することに成功し、ただ一人の生存者であった。事故を調査したNTSBは、両機の外部監視と回避操作の怠慢が事故原因であったと認定した。しかし、「旅客機側が外部監視を怠っていた」というNTSBの調査結果に対して、この706便に乗務していたセオドア・ニコライ機長を知る、別のフライトで乗務した副操縦士や客室乗務員はにおいて、「用心深い性格で、ニアミス事故の危険性を身を以て理解していたニコライ機長らしくなく、ありえない」として否定的な意見を証言した。実際に、ニコライ機長自身もこの事故以前に他機とのニアミスに遭遇し、それ以来、副操縦士や同僚たちに、周囲の監視を怠らないよう注意を喚起していたためである。だが、NTSBは、その一方でたとえ視認したとしても回避操作が時間的に難しかったことも認めた。これは相対速度が1200km/hという高速で接近していたためであった。また、海兵隊機が航空管制センターから進入許可を受けないまま空域内に侵入していたこと、戦闘機に装着されていたトランスポンダーが故障していたうえに、酸素供給システムのトラブルの為に戦闘機は通常よりも低い高度を飛行していたこと。そのうえ機上対空レーダーはパイロットの要求で地形探知モードになっており、周辺を飛行する航空機を探知しにくい状態であった。そして管制レーダーに音速で飛行する戦闘機を捉えられなかったうえに、管制官も有視界飛行の戦闘機が管制空域に存在していることを認識していなかった。このように様々な不運な要因が事故に直結することになった。事故の直前にレーダー迎撃士官はパイロットに旅客機がレーダーに写っていると叫んだが、戦闘機は左にロールしておりそのまま衝突した。一方の旅客機パイロットも戦闘機の存在に気付いておらず、たとえ発見しても回避動作を行うには手遅れだったと指摘されている。ヒューズ・エア・ウエストは、1976年に実質的なオーナーだったハワード・ヒューズが亡くなり、1980年にリパブリック航空に売却される形で消滅した。
出典:wikipedia
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