久保ケ丘(くぼがおか)は、茨城県守谷市の地名。一丁目から四丁目まである。土地区画整理事業により立沢、大山新田の一部から新設された。郵便番号は302-0104。当地域の人口は3,150人(2009年1月1日現在、常住人口調査による。守谷市調べ。)守谷市北部、常総ニュータウン北守谷地区の北東部に位置する閑静な住宅街である。北部は常総ニュータウン絹の台地区と接し、地区の境に小川の流れる遊歩道「せせらぎの小路」が整備されている。南部は新守谷の駅前へ通じる北守谷地区のメイン通り(北守谷板戸井線)、地域の西部は常総ふれあい道路が通る。一丁目に久保ケ丘交番・守谷市文化会館・伊藤ハム中央研究所、二丁目にサンテラス守谷がある。東、南は御所ケ丘、西は松前台、北はつくばみらい市絹の台と接している。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、久保ケ丘2丁目10番2の地点で7万8800円/mとなっている。元は立沢・大山新田の一部で、山林を中心とした地域となっていた。1949年(昭和24年)6月になると、満州より引き上げてきた大八洲開拓団により入植が行われ、地域の大部分は新興開拓地域「素住台」(全21戸)へと変貌した。その後、日本住宅公団(現:都市再生機構)によってニュータウン開発の計画が浮上し、1972年(昭和47年)末までに素住台住人の立ち退きが完了。その後、区画整理事業が行われ、1982年(昭和57年)に常総ニュータウン北守谷の街びらきが行われ、その後は住宅街となっている。素住台の名は現在では北守谷遊歩道の「素住台歩道橋」にその名が残るのみである。従前の大字立沢の小字に「久保」が付くものが複数あったことによる。また、大八洲開拓団開発地の名称「素住台」は、1949年(昭和24年)当時の北相馬地方事務所主事の命名による。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス・関東鉄道常総線守谷駅から新守谷駅、小絹駅、北守谷公民館などを結ぶ路線バスが地域内を走っている。路線バス地域内には「久保ケ丘一丁目」、「立沢公園」、「久保ケ丘東」、「久保ケ丘三丁目」、「素住台歩道橋」、「久保ケ丘」、「せせらぎの小路」、「御所ケ丘」、「文化会館前」の9つの停留所がある。また、地域内の一部のバス停留所は、当初の名称より変更が行われている。市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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