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ロータス・102

ロータス・102 (Lotus 102) は、チーム・ロータスが1990年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、フランク・ダーニーらが設計した。は102B、序盤戦は102Dを使用した。102は、1990年の開幕戦から全16戦に投入された。前年のマシン101をベースに開発され、エンジンは、V型8気筒のジャッドCVからV型12気筒のランボルギーニ3512に変更された。ロータスとしては唯一のV12エンジン搭載車である。前年のドライバー、ネルソン・ピケと中嶋悟はチームを去り、代わってデレック・ワーウィックとマーティン・ドネリーという新旧イギリス人コンビがドライブした。ヘレスで行われた第14戦スペインGP予選中に、ドネリーがコクピットまでのマシン前半部分が完全に破壊される事故を起こし、重傷を負った。以後の2戦は、代わりにジョニー・ハーバートがドライブした。最終獲得ポイントは3ポイントで、最高位は5位、コンストラクターズランキングは8位と低迷した。このポイント数はチーム参戦以来もっとも少ないものであった。また、この年をもってメインスポンサーのキャメルが撤退した。これによって、チームは存続の危機に陥り、チームマネージャーのルパート・マンワーリング、チーフデザイナーのマイク・コフラン、テクニカルディレクターのフランク・ダーニーなど主要スタッフの離脱が続いた。シーズン終了後の12月、ピーター・コリンズとピーター・ライト、ホルスト・シューベルらがチームを引継ぎ、新たな体制で出発することになった。この年、ロータスは参戦できるかどうかぎりぎりの状態であったため、前年使用した102を車両規則に合わせて修正し、ジャッドV8エンジンを搭載した102Bを使用することになった。メインスポンサーのキャメルを失ったため、カラーリングはグリーンとホワイトのツートンとなった。この年から、タミヤ(田宮模型)やコマツなどの日本企業のスポンサーが開始された。当初の予定では、1991年シーズン用のマシンとして103が用意されるはずであった。103はティレル・019のようなハイノーズと横置きギヤボックスを搭載するマシンであったが、財政難のためにモックアップの製作しかできなかった。テクニカルディレクターには、フェラーリから移籍したエンリケ・スカラブローニを迎え、チーフデザイナーはフランク・コパックが務めた。ドライバーはミカ・ハッキネンとジュリアン・ベイリー。第5戦からはベイリーに代わりジョニー・ハーバートが全日本F3000選手権と掛け持ち契約となり、F3000の日程と重複したレースはミハエル・バーテルスがドライブした。成績はコンストラクターズ10位(3ポイント)、最高位はハッキネンの5位であった。タミヤはこのマシンを譲り受けて、本社ビルに展示している。102BのシャーシをいすゞP799WEV12エンジンが搭載できるように改造。1991年シーズン中にシルバーストーンにテストで使用された。あくまでエンジンのテスト目的だったため、実戦投入されることはなかった。この時、いすゞが製作したエンジンのうち1機がタミヤ本社で展示されている。102Cの車体もタミヤ本社にあり、これが現存する102Cの唯一の車体である。1992年シーズンに向け、エンジンをフォードのワークスエンジンであるHBエンジン(型落ち)に変更した。カラーリングは1960年代のロータス黄金期を思わせるブリティッシュグリーンとイエローの配色となった。ドライバーは前年からハッキネンが継続で、前年スポット参戦だったハーバートが復帰した。ハーバートは第4戦まで、ハッキネンは第5戦まで102Dを使用し、以後は107にスイッチされた。

出典:wikipedia

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