立沢(たつざわ/Tatsuzawa)は、茨城県守谷市の地名。旧北相馬郡立沢村。郵便番号は302-0118。当地域の人口は1,419人(2010年1月1日現在、常住人口調査による。守谷市調べ)。当用漢字が定められる前は立澤と表記された。守谷市北部に位置する。地域の中心を常磐自動車道が通っており、かつて北東部だったところは常総ニュータウン北守谷となり、立沢から分離したが、今なお広い面積を保っている。地域内を国道294号、常総ふれあい道路、県道野田牛久線が通っている。東は松並、西は薬師台、緑、南は百合ケ丘、大柏、北は御所ケ丘、つくばみらい市筒戸と接している。当地域は、古くは守谷郷に属し、全域が下総国相馬郡立沢村となっていた。1845年(弘化2年)3月の「下総国旧事考」によると、立沢の由来ともなる竜沢寺は1289年(正応2年)に建立されていることがわかり、古くより村が形成されていたと考えられる。また、立沢の小字である「御所台」(一部は御所ケ丘となっている)は古河公方足利義氏の御殿(御所)が置かれたからであると言われている。「旧高旧領取調帳」によると、幕末には田安領(354石6斗7升3合)と観音堂領(5石4斗)となっており、幕末より下総野鎮撫府、下総知事県の管轄となり、1869年(明治2年)には葛飾県、1871年(明治4年)には印旛県の管轄となり、1873年(明治6年)の大区小区制では第十四大区六小区となったが、これは本来は仮定であり、実地不便の向きもあるということを理由に第五大区七小区へと再編されている。また、同年千葉県となる。1875年(明治8年)には千葉県から茨城県に移管され、第九大区二小区となる。1878年(明治11年)の郡区町村制で大区小区の区分けは廃止され、同時に相馬郡が利根川を境に南相馬郡と北相馬郡に分離し、北相馬郡立沢村となる。1889年(明治22年)3月1日には同じ北相馬郡の板戸井村、大木村、大山新田と合併し、立沢は大井沢村の大字となり、1955年(昭和30年)3月1日には同じく北相馬郡守谷町、大野村、高野村と合併し、守谷町の大字となる。1976年(昭和51年)5月より、地域の北端を日本住宅公団(現:都市再生機構)が「常総ニュータウン北守谷」(開発中の名称は「公団北守谷団地」などで、開発後期より街開き後しばらくまでは「常総ニュータウン守谷」と呼ばれていた)として開発し、1985年(昭和60年)5月には御所ケ丘一丁目 - 五丁目、久保ケ丘一 - 四丁目、松前台一 - 三丁目、薬師台一丁目 - 七丁目として分離した。2002年(平成14年)2月2日の守谷市の市制施行により、守谷市の大字として現在に至る。当地域にある寺、「竜沢寺」の寺号より。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス・関東鉄道常総線守谷駅と新守谷駅を結ぶ路線バスと、守谷市コミュニティバス「モコバス」が地域内を走っている。路線バス地域内には「立沢」、「立沢本田」、「立沢向地」、「前川製作所前」の4つの停留所がある。モコバス地域内には「前川製作所前」、「慶友病院前」の停留所がある。Bルート右回りの「前川製作所前」停留所は百合ケ丘一丁目に所在する。市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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