篠原 登(しのはら のぼる、1904年11月27日 - 1984年10月16日)は、日本の政府高官・科学者・教育者・工学博士。東海大学学長、科学技術庁顧問などを務めた。本籍、出身山梨県。父は最高裁判所裁判官。代々山梨県につづく家に生まれる。東京帝国大学工学部電気工学科を卒業。逓信省工務局に入省。初代科学技術事務次官。松前重義と共に、長距離通信回線用無装荷ケーブルおよびこれに適用する搬送式通信方式を発明し、日本の通信技術の進化に大きく貢献した。また、松前の同志として学校法人東海大学の創設に尽力し、工学部長、学長、副理事長を歴任、1952年には常務理事に就任した。明仁天皇が皇太子殿下のころ、科学技術についてご進講していた。生前は敬虔なクリスチャンであった。親戚の話によると、政治家になる事には全く興味がなく、表に出て目立つことも好まなかったという。『随筆集「ひとりの心」』(1968年) には、第二次世界大戦には一貫して反対の姿勢を貫いたことが綴られている。同じく反対を表明した知人、友人は、拷問や投獄された後、亡くなるなどの末路を辿っており、その時の無念さを記している。本来喫煙が許されていない電車内で米国軍人がタバコを吸っていたのを見た時には、英語で注意をしたというエピソードがあり、その人柄が垣間見える。
出典:wikipedia
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