蒲郡みかん(がまごおりみかん)は、愛知県蒲郡市を産地とする柑橘類の総称。全国的には温室栽培の「蒲郡温室みかん(がまごおりおんしつみかん)」が有名である。露地みかんと温室みかんを組み合わせることで、蒲郡市では通年でみかんを出荷できる体制をとっている。三河湾と山に囲まれ、温暖な気候である蒲郡市では温室みかん、露地みかんともに栽培が盛んである。蒲郡市の代表的産業のひとつでもある。特に温室みかんは夏の高級果実として量販店や果物専門店の人気商品として定着している。販売エリアは名古屋圏が中心だが、関東方面や東北・北陸方面にも出荷される。蒲郡温室みかんは単一農協で温室みかん全国1位の生産高を誇っていた。しかし、重油や資材費の値上がりによる生産量の削減や市町村合併による影響などにより佐賀県唐津市の産地に首位を譲り、全国2位の生産量を誇る。「蒲郡みかん」は愛知県内の農産物で初めて地域団体商標(地域ブランド)に登録されている(2008年〔平成20年〕6月登録)。みかんでは「三ヶ日みかん」(JAみっかび)や「有田みかん」(JAありだ)などに次いで8番目の登録となった。蒲郡温室みかんの特徴は、品種を宮川早生に統一しているため、高い糖度と程よい酸味を兼ね備えていることである。1973年(昭和48年)より9件の農家が温室での栽培を開始した。温室栽培は最初の農家の導入からわずか5年で地域全体に普及した。1990年(平成2年)からは地中冷却栽培法を導入し、4月上旬から10月上旬まで温室みかんを供給できる体制を整えている。全国的に温室みかん栽培が拡大したため、産地間競争を勝ち抜くために品質向上や経営の工夫に取り組んでいる。1992年(平成4年)には鉄筋屋根型ビニールハウス(66棟8.8ha)の日本一の温室みかん団地が完成した。同団地内には光センサー(非破壊糖酸度分析装置)、カメラ、コンピューターなどのハイテク機を備えた総合集出荷場が稼働しており、高品質の温室みかんが出荷されている。市場評価は日本国内では最も高く、東京都中央卸売市場では全国平均を1kgあたり100円以上上回っている。川久保篤志による1995年(平成7年)の調査によれば、温室みかん栽培農家は、温室栽培を導入しない農家に比べ40歳代以下の若い農家の比率が高く、若手農家は農業以外の職業を経験した後、親の高齢化に伴う引退により農家を継いだ人が多いという。また彼らは専業農家である場合が多く、他の柑橘類やキウイフルーツと組み合わせて温室みかん栽培を行っている。9月から1月にかけてビニールハウスを設営して加温し、加温から35日 - 45日で開花するように調整する。水は地中に敷いたパイプで供給し、目的の大きさ・収穫時期を制御する。結果樹は「枝つり」を行い、果実の重みで枝が折れないようにすることとそれぞれの果実に日光が当たるようにする。そして4月から10月に収穫する。露地栽培の蒲郡みかんは、全国的に価格の低迷が続く露地栽培に対応するため、新品種や新しい栽培方法が導入されている。畑に白いシートを敷き詰めて水分供給を調整して糖度を高める「マルチ栽培」を取り入れた高級露地みかん「箱入娘(はこいりむすめ)」が高い評価を得ている。蒲郡市でのみかんの歴史は古く、1679年の五井村での栽培記録が残されている。現在の蒲郡みかんの始まりは幡豆町から入ってきた「唐みかん」であると言われている。1800年代後半から温州みかんが栽培され始め、「西郡(にしのこおり)みかん」「神ノ郷みかん」として消費者に好評であった。昭和時代になると、水田はみかん農園に転換し、山麓にもみかん農園が開墾により増加した。1957年(昭和32年)には共同選別・共同販売(共選・共販)体制を整えて高品質みかんの出荷に取り組み、名古屋市場での占有率を高めた。しかし、1970年代には過剰生産による価格暴落が起きたため、対応策として温室栽培のハウスミカン「蒲郡温室みかん」が導入された。全国的に温室みかん栽培が拡大したため、品質向上と経営の効率化を図り1992年(平成4年)に日本一の規模の温室みかん栽培のためのハウスミカン団地が完成した。1998年(平成10年)には同団地内にJA蒲郡市の「総合集出荷場」が完成しハイテク機器による選別・出荷が実施されている。
出典:wikipedia
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