芦 東山(あし とうざん、元禄9年(1696年) - 安永5年6月2日(1776年7月17日)は、江戸時代中期の仙台藩の儒学者。国内の刑法思想の根本原理を論じた「無刑録」の著者。陸奥国東磐井郡(現岩手県一関市大東町渋民)に生まれる。幼少より才覚を発揮し、15歳で農民の出でありながら仙台藩の儒学者となる。19歳の時には藩主・伊達吉村に御前講義を行う。享保元年(1716年)、21歳で主命により京都に遊学し、浅井義斎、三宅尚斎、高屋徹斎等につき、ついで江戸で室鳩巣の教えを受ける。藩儒としてよく勤めたが、学問所の講席の序列について建言して入れられず、元文3年(1738年)、43歳の時に加美郡宮崎(現宮城県加美町宮崎)の石母田長門方へ蟄居を命ぜられ、24年間の幽閉生活を送る。この幽閉生活中、恩師・室鳩巣の委嘱による『無刑録』18巻を著す。「無刑録」は、中国の刑律を集大成し、東山の見解を加えたものである。書名は尚書大禹謨の「刑期干無刑(刑は刑無きを期す)」によるもので、儒教をもとにしながら更に考えを進め、刑罰を見せしめのものでなく、教育刑(教化善導)にすべきであると説いている。このような思想はヨーロッパでは19世紀末に生まれたとされるが、この100年以上も前に書き記されていたことになる。完成後も、時代に先んじ過ぎ、危険思想と受け止められ出版は許されなかったが、百年余を経た明治10年(1877年)、元老院幹事陸奥宗光、水本成美らの尽力により、元老院から公刊され、ようやく日の目を見るに至った。明治政府は近代刑法制定にあたり、ヨーロッパ諸国のものより、これを参考にしたことが多かったと言われている。また、花井卓蔵は「東洋唯一の刑事法典」と呼んでいる。
出典:wikipedia
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