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タカエノカオリ

タカエノカオリは、1974年の桜花賞に優勝した日本の競走馬。母・タカエミドリは道営競馬の活躍馬で、ダート1200メートルの道営レコードを記録するなど快速馬として鳴らした。タカエノカオリはその初年度産駒として期待されたが、右後の球節が不自然にねじれており、これでは大成は難しいと牧場関係者を落胆させた。さらに、生後3ヶ月で母・タカエミドリが腸捻転の為に急死。その為、離乳までの残りの期間を祖母・ミツコにより、その仔馬と一緒に育てられた。脚部不安の為に競走馬としては期待されていなかった上、タカエミドリ唯一の産駒とあって、本来は競走馬としてデビューする予定は無かった。しかし、隆栄牧場から出た同期の期待馬・タカエノハナが調教中の強風によるアクシデントをきっかけとして、以降、騎乗者を何度も振り落とすなど手が付けられない気性となったため、牧場に送り返されるという事態が発生する。この代わりとして、タカエノカオリは競馬場に送られる事となった。3歳秋に福島でデビューを迎えたタカエノカオリは、この初戦を3番人気で快勝。意外な滑り出しに関係者は喜んだが、続く東北3歳ステークスでは後に「アラブの魔女」の異名を取るイナリトウザイの5着。続く新潟条件戦こそ2着となったが、新潟3歳ステークスでは、優勝馬から4秒以上離された最下位と惨敗した。その後、蹄に問題を抱えたタカエノカオリは休養に入る。結局、3歳シーズンは4戦1勝に終わった。休養を経て4歳2月に中京開催の条件戦で復帰すると、これを5馬身差で圧勝して2勝目を挙げる。続くレースも連勝し、桜花賞に駒を進めた。鞍上は、この2年前に桜花賞をアチーブスターで制し騎手として本格化を果たした武邦彦に決まり、競走当日を迎える。牝馬クラシックの中心と目されていたイットーとレスターホースが揃って戦線離脱しており、混戦模様を呈すなかタカエノカオリは4番人気となった。レースでは中団につけると、直線で4頭が横一線となり、直線半ばからは逃げ粘りを図る1番人気サクライワイと差し込んできたタカエノカオリの一騎討ちとなった。激しい競り合いの末、ゴール直前でタカエノカオリが僅かに抜け出し、4分の3馬身差で1着。桜花賞優勝を果たし、競走馬として全く期待されていなかったタカエノカオリが、牧場にとって初の八大競走制覇をもたらす結果となった。この後は優駿牝馬(オークス)への出走となる筈だったが、屈腱炎を発症し出走断念。繁殖に向けての大事を取って、現役復帰を目指さずそのまま競走馬引退となった。なお、桜花賞(阪神開催)以外はいずれもローカルでの出走であり、関東馬でありながら関東の主要二場(府中・中山)での出走は一度も無かった。引退したタカエノカオリは、母・タカエミドリの後継として繁殖入りとなった。産駒には中央競馬で5勝を挙げたクラシックウィナー、曾孫に東京ダービー馬ヒノデラスタや読売レディス杯などに勝ち関東オークス2着などの実績があるシールビーバックがいる。1997年に高齢により繁殖も引退。その後は功労馬として余生を送り、翌1998年10月に老衰で死亡した。隆栄牧場内に墓が建てられている。父ヴェンチアはタカエノカオリの同期馬イットーなど多くの活躍馬を送り出したが、もともとタカエミドリにはターキンが種付けされる予定だった。同馬との交配のために訪れた種馬場で、たまたま目に入ったヴェンチアを生産者の飛渡が気に入り、急遽予定が変更されたものだった。

出典:wikipedia

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