沖縄料理(おきなわ りょうり)は、沖縄県の郷土料理のこと。琉球料理(りゅうきゅう りょうり)とも呼ばれるが、この場合は琉球王朝時代の宮廷料理を指すことが多い。沖縄県は、日本本土と異なり、平均気温が高く、四季が比較的不明瞭な気候であるため、亜熱帯性の食材が多く見られる反面、冷涼な気候に適した食材は栽培・入手がしにくい土地柄である。使用される野菜類が本土とは異なり、消費量日本一の干し椎茸を除けばキノコ類の使用も少ない。また、亜熱帯に属するが香辛料はあまり使用されず、伝統的な味付けは塩、味噌、鰹節、昆布を多用する、日本料理の範疇に収まるものである。しかし、これに加えて豚の出汁をよく利用する点で大きな違いがある。また、海に囲まれた多島の県であるが、手の込んだ魚料理は発達していないという特徴を持つ。また、沖縄は、明治時代になるまで、日本本土の朝廷や武家政権の直接統治下になかった地域である。1609年に薩摩が琉球征伐を行い、服属させたが、清との朝貢貿易を続けさせられた。また、日本本土では、律令時代から江戸時代に至るまで、米に基く税収(租や年貢)を安定的に確保する関係上、獣肉食を禁止・制限する命令が何度も出されたことにより、米が貨幣にもなる神聖な作物として位置付けられる一方で、肉食が稲作農耕に害をもたらす穢れとされ、長らく禁忌とされてきた。しかし、沖縄は、米を税の中心として位置付ける日本本土の政権の統治下になく、肉食が穢れと見なされなかったために、ブタ、ヤギなどの家畜を肥育して食用とすることに抵抗のない食文化が存在していた。琉球王朝時代には外交上の必要性から薩摩藩や交易範囲の中国(明、清)・東南アジアなどの影響を受けた。特に中国からは医食同源の思想を受け、「クスイムン」(薬物、くすりもの:「薬になる食べ物」の意味)、「シンジムン」(煎じ物)と呼ばれる民間療法的な料理も多く伝えられている。。かつて王族や上級士族が居住した首里では中国料理の影響を大きく受け、洗練された宮廷料理が、また戦前までは男性の社交場でもあった辻遊郭では華やかな宴席料理が発達し、久米に定住した閩人の末裔は、中国由来の行事料理などを伝えた。沖縄の伝統的な食文化には、地理的に近い福建系の中華料理(台湾料理を含む)や薩摩料理の影響が強いが、歴史的経緯により、食材の流通ルートや交易範囲が変化したことも大きく影響している。黒砂糖の代価として運ばれた昆布や鰹節は北海道、薩摩などが産地である(後述)が、沖縄料理に欠かせないものとなった。また、気候・流通的な理由により、保存性に優れた乾麺や麩、海藻といった乾物、塩漬けの豚肉などを用いた独自の料理が発達した。さらに、石灰岩質で稲作にはあまり適さない土地柄のため、戦前は上流階級以外は甘藷を主食とし、第二次世界大戦後しばらくは米軍の配給食に依存した食生活であったことも本土とは異なる点である。日本に組み入れられた明治以降は、本土の一般的な食文化にも影響を受け、沖縄そば、(沖縄風)すき焼き、ちゃんぽんなど明治以降に誕生した料理も現在では広く沖縄料理として認識されている。台湾が日本統治下に入ると出稼ぎ労働者として沖縄県民が台湾に渡り、台湾人も沖縄に渡航して料理店を開いたり、パイナップルを栽培するなどの交流が深まり、沖縄の食文化も台湾料理の影響を受けた。また移民が奨励され、多くの県民がブラジルやアメリカ合衆国ハワイ州、フィリピンなどへと渡航したことで、これら地域の料理が紹介され定着している例もみられる。戦後は米軍の軍政下に置かれ、アメリカから配給や輸入された保存食のポークランチョンミートや各種の缶詰料理も定番化した(アメリカ併合後のハワイやフィリピン、朝鮮戦争後の韓国と類似する)。アメリカのハンバーガーチェーンの進出は本土より早く、県民はアメリカナイズされた食生活になじんでいった。また、戦前のイモ類を主食にする食習慣に代わって米や小麦の粉食を主食とする食生活に変わっていき、タコライスなどの沖縄独特の米料理もよく食べられるようになっていった。本土復帰後は本土の食品産業・外食産業の進出によって、他府県の食文化との差が少なくなる傾向にあるが、現在も県民の食生活には本土の和食とは異なる沖縄料理の伝統が健在で、米軍統治下のアメリカ文化の影響も色濃く残っている。なお、本土では一般的に「東の豚肉、西の牛肉、九州の鶏肉」と1人あたり消費量をもとに肉食の嗜好が言われるが、沖縄県では豚肉の消費量が多く、全国2位で、ベーコンや「その他の豚加工肉」(ランチョンミートなど)の消費量では全国1位である。また、内臓、耳(みみがー)、顔(ちらがー)などの部位も食用にし、骨もスープを取るのに利用される。なお、アメリカの軍政下に置かれていたにもかかわらず、パン・牛乳・チーズなどの消費量は少ない。また、鰹節の消費量は日本一であり、2002年の総務省による統計では、1世帯当たりの消費量が全国平均で390グラムであるところ、沖縄では2778グラムにも達する。また2010年(平成22年度)~2012年(平成24年度)の政令指定都市における2人世帯の購入金額平均を金額ベースで見ても、全国平均で932円のところ那覇市は3332円と3倍以上、次点の静岡市の1571円と比較しても2倍以上である。鰹節自体も日本本土で一般的に使用されているものとは異なり、黴付けを行っていないものであり、鰹節自体のサイズも関東向けのもので200グラム程度であるものに対して、沖縄向けは500グラムと、大きなもの。水分含有量自体も、通常17%~ 20%であるところに対し、沖縄向けのものは20%~ 22%と、若干高く、手触りも柔らかい。ものによっては25%~28%にも達すると言うが、それは相当に魚臭いものである。なお、沖縄でも鰹節は作られているが、需要量の問題からか、市場に出回るものは沖縄向けに加工された鹿児島産のものが多い。沖縄で最も日常的に消費される畜肉は豚肉である。沖縄本島では18世紀ごろから家庭でも飼われるようになったが、戦前までは、肉は滅多に口にできない貴重な蛋白源であり、豚は気温の低い冬、特に正月に向けて屠殺し、肉は塩漬けにしたり何度も火を通しながら少しずつ大切に食べた。また沖縄の食文化は中華料理(とりわけ福建料理・台湾料理)の影響を受け発展したため、中国と同様「ひづめと鳴き声以外は全部食べる」と言われるほど、1頭の豚を文字通り頭から足先まで料理に使用する。調理方法は中華料理に似るが、料理酒として泡盛を用い、八角や五香粉などの香辛料は用いられない。有名なのは、ばら肉の角煮であるラフテーやあばら骨の部分を煮込んだソーキであるが、耳たぶの部分を食べるミミガー(耳皮)や、同様に頭部の皮を利用したチラガー(顔皮)なども有名である。基本的に、豚肉を料理する際にはよく煮込んで、また料理によってはゆでこぼし、灰汁と一緒に浮き出た脂肪を取り除いてから用いる。このため、余分な脂肪が抜け出て健康的な料理になると言われている。例えば、豚足の部分を、毛を処理してからじっくりと煮込んだ足ティビチ(テビチ)は、脂分が抜け出てコラーゲンが豊富に残留しているため、肌の美容に良いとされている。また、内臓は中身と呼ばれ、イリチー(炒り付け)と呼ばれる炒め煮にされるほか、をコンニャクやコンブとともに澄まし汁に仕立てた中身汁と呼ばれる吸い物などに利用されている。ばら肉のかたまりを塩漬けにしたスーチカー、甘い味噌と脂身を合わせて作るあんだんすー(油味噌)、脂身を炒って乾燥させたあんだかしー(油かす)などの保存性のある加工品にしたり、本来は廃棄物である骨のだし殻を再利用した骨汁や、血液も固まりの状態をイリチーにしたチーイリチーとして食べるなど、豚肉料理のバリエーションは非常に多彩である。しかしその一方で、他の地方で一般的なロースやヒレなどの精肉部位は冷蔵技術がなくては保存しにくいため、ミヌダルなどの宮廷料理を除いては沖縄料理の素材として使われることはほとんどない。近年は、絶滅寸前だった小型の在来豚であるアグーの飼育が進められ、沖縄の高級ブランド豚肉となっており、外食店を中心に広まっている。肉料理にあっては、ヒージャー(ヤギ)も特筆すべき家畜である。山羊料理の専門店が存在するほか、かつては祝い事の際などに振る舞われることが多く、現在でも農家では「自家用」にヤギを飼っている例も珍しくない。乳は飲まず、主な料理法は刺身と汁であるが、いずれも独特のくさみが非常に強く、好き嫌いが分かれる食材であり、ショウガやフーチバー(ニシヨモギ)で臭みを消して食べる。山羊料理は滋養強壮に良いともされており、ヒージャーグスイ(「グスイ」は「薬」の意)という言葉も存在する。沖縄本島では塩味の山羊汁が主流であるが、奄美大島、宮古島などでは、味噌を入れることもある。牛肉は、戦前には廃用とされた農耕牛の肉が出回る程度で、食用としてはほとんど流通していなかった。また品質も劣悪であったため、豚肉や鶏肉より安く取り引きされていたという。こうした肉を用いた沖縄料理として唯一存在するのが、山羊汁と同じように内臓を含めた可食部位をごった煮にした「牛汁」である。ステーキは米軍統治時代に広く普及し、輸入肉を使用した廉価なステーキ屋は現在も非常に多い。本土復帰後は石垣牛を筆頭とする和牛の生産も盛んであるが、基本的に換金家畜であるため県民の食卓に上ることは稀である。「観音アヒル」と呼ばれるバリケン種のアヒル(あひらー)は家禽として古くから飼育されていた。喘息に効くと信じられており、現在もアヒル料理を出す店がある。南米に由来する外来料理ではあるが、ニンニクを詰めた鶏の丸焼きは人気が高く、沖縄本島各地に多数のローストチキン専門店が存在する。西表島や石垣島ではイノシシ(リュウキュウイノシシ)猟が行われ、刺身や炒めもの、汁などで食べられる。北部の名護市周辺地域ではヒートゥー(イルカ)が食べられる。漁獲制限のため流通量は少ないが、八重山地方を中心にウミガメ料理を出す店もある。禁漁となる以前はジュゴンも食用とされていた。近年ではほとんどみられなくなったが、かつては犬や猫もマヤーのウシルなどにして食べた。農村部や離島の一部ではこのような風習が残されている例もある。野菜類は油脂を用いた加熱調理が基本であり、野菜炒めに類する料理は非常に頻繁に用いられる。食堂のメニューで単に「おかず」と記載されていれば、ほとんどの場合野菜炒めに玉子焼きなどを載せたものが出てくる。沖縄独特のものとしては、ゴーヤー(ツルレイシ)、タマナー(玉菜、キャベツ)、マーミナー(豆菜、モヤシ)などを島豆腐と共に強火で炒めたチャンプルー、突き器を用いて千切り状にしたデークニー(ダイコン)やパパヤー(パパイヤ)などにだし汁を加えて炒り付けたイリチー(炒り付け)、同じく細長く突いたチデークニー(黄大根、ニンジン)を鶏卵と共に炒めたシリシリー(摺り摺り)などが代表的である。大根、にんじん、ごぼうなどの根菜類と三枚肉や豚足、昆布、こんにゃく、かまぼこ、豆腐などを炊き合わせた煮つけもポピュラーな料理で、多くの食堂で提供されている。ナーベーラー(鍋洗い=ヘチマ)を食用にするのも沖縄県から東南アジアにかけての特徴であり、豆腐などとともに味噌味の蒸し煮にするナーベーラーンブシー(蒸し)などの料理がある。タロイモの一種であるターンム(田芋)も伝統的な食材であり、甘く煮たディンガク(田楽)や、豚肉や野菜と一緒に炒めながらペースト状にしたドゥルワカシー(泥沸かし)の材料として用いられる。またフーチバー(蓬葉=ニシヨモギ)は薬味として多用される。煮物や汁の材料としてシブイ(白瓜=トウガン)やチブル(頭=ユウガオ)、モーイー(毛瓜)がよく使われるほか、ダッチョウ(島らっきょう)、ンスナバー(フダンソウ)、シマナ(島菜=カラシナ)、ンジャナ(ニガナ)、ハンダマ(スイゼンジナ)、サクナ(ボタンボウフウ、別名長命草)、ハマホウレンソウ(ツルナ)、ニンブトゥカー(念仏鐘=スベリヒユ)、クァンソー(ワスレグサ)、イーチョウーバー(茴香葉=フェンネル)、アキノノゲシなども食用とされる。ウンチェー(ヨウサイ)、ウリズン(シカクマメ)、カンダバー(ヤエヤマカズラ)、マッコー(マコモダケ)、インミズナ(ミルスベリヒユ)、アロエ、オオタニワタリ、アダン、ヘゴなど、南国独特の食材も見られる。反面、沖縄では採れない本土の野菜は輸送費がかかるために高価であり、また気候のせいで傷みやすいこともあって、キュウリやトマトなど一部を除いては火を通さない野菜を食べるという習慣はつい近年までなかった。一般的には生食されるレタスなどがおでんや煮つけ、汁物に使われるのも本土とは異なる。八重山列島には独特の精進料理が存在し、一部の料理店などに伝えられている。これは琉球王朝時代に、薩摩や首里の役人をもてなすための接待料理として発達したものである。前述のように炒め物のチャンプルーに使うしっかりした島豆腐がある一方で、おぼろ豆腐よりも軟らかい「ゆし(寄せ)豆腐」もよく食べられている。豆腐を紅麹と泡盛に漬け込んだ「豆腐よう」も沖縄名産として名高い。また、大豆ではなく、落花生を使った「ジーマーミ豆腐」(地豆豆腐)も風味豊かな郷土食である。沖縄県では小麦の栽培はされていないが、小麦粉から作る麩を使った料理もポピュラーである。車麩に卵液を吸わせてから炒めた麩チャンプルーや麩いりちーは家庭の惣菜としてよく食べられている。長期間保存できる麩は台風の多い沖縄では重宝されたうえ、北前船の航路の影響(車麩の分布は北前船の寄港地と重複している)や、戦後にアメリカからの援助物資として手に入りやすかった小麦粉を使って麩屋が雨後の筍のように現れたことも関係しているかもしれない。沖縄県周辺で獲れる魚は、マグロやカツオなど一部の例外を除いては、本土では見かけない亜熱帯独特のものが大半を占める。グルクン(タカサゴ)、ミーバイ(ハタ)、イラブチャー(アオブダイ)など一般に脂質が少なく淡白な魚が多いため、唐揚げやバター焼き(マーガリン風味の丸揚げ)など油を用いた料理や、野菜などと一緒に煮込んだ味噌汁などの料理法が主流である。ただし、食味の良いものは刺身や素材の風味を生かして塩味で蒸し煮にしたマース煮(「マース」は「真塩」の訛りで「塩」の意)などにも用いられる。干したイラブー(エラブウミヘビ)を煮込んで汁にしたものや、イカを墨ごと汁物にしたイカの墨汁(すみじる)、アバサー(ハリセンボン)汁、ヤコウガイやシャコガイの料理なども、独特のものである。魚の加工食品としては、スク(アイゴの稚魚)を塩漬けにしたスクガラスや薩摩揚げの原型ともされるチキアギ(付け揚げ。これを「カマボコ」と呼ぶこともある)、かまぼこなどがある。かまぼこは清明祭や旧盆の重詰めには欠かせず、本土のかまぼこよりも色のバリエーションが多い。なお刺身を食べる際に酢味噌や酢醤油を用いることが多いが、これは魚の傷みやすい南国ならではの知恵の名残でもあると言われている。またツナの缶詰がチャンプルー、ヒラヤーチーや味噌汁の具、煮物に使用される。なお漁港の数は高知県と並び88港で国内13位(2008年4月1日現在)。特定第3種漁港はなく、第3種漁港が1港(糸満漁港)、第2種漁港が4港で、残りの83港が沿岸漁業や離島の漁港である。すなわち、他県と沖縄で水揚げされた魚介類を流通のやり取りはあまり行われず、消費される魚種が近海物に偏る傾向が大きく、また近海物の魚介料理が廃れずに残っている要因にもなっている。ターイユ(フナ)やクゥーイユ(コイ)など淡水魚も昔から食用とされ、昔はカタツムリを食べることもあった。また、鰹節に熱湯をかけ、味噌または醤油で調味して食する「カチューユー」(かつお湯)も一般的な軽食である。海草を用いた料理も盛んで、スヌイ(酢海苔=モズク)は酢の物にし、アーサ(ヒトエグサ)は汁に入れるほか、いずれも天ぷらの具にしたりする。ヒジキも栽培されており、モーイ(イバラノリ)も地域によっては利用される。海ぶどうも独特のものとして、土産物などとして珍重されている。また、クーブ(コンブ)を利用した料理が盛んで、だしに使うほか、締め昆布を煮物や炒め物に用いたり、千切りにしてクーブイリチーと呼ばれるイリチーやクーブジューシーになどにする。沖縄県のコンブの消費量は全国でも富山県と一、二を争う多さである。沖縄県で昆布が生産されないのに消費量が多いのは、江戸時代、日本から清への輸出品として沖縄に運ばれた北海道産のコンブが用いられるようになったからだとも、北前船によって大阪に運ばれた昆布を薩摩の商人が沖縄の黒砂糖と取引したからだともされている。彼岸・清明祭・旧盆などに使われる沖縄独特のお供え料理。「しみむん」(煮しめの意)、「くわっちー」(ご馳走を意味する言葉)などとも呼ばれる。地域や門中、節目により多少の違いがあるが、伝統的には四段重ねで、二段が白餅、残り二段には御三味(豚三枚肉、かまぼこ、揚げ豆腐、煮昆布、天ぷら、ゴボウ、結びこんにゃく、ターンムのから揚げ等)が碁盤目状に綺麗に並べて詰められる。戦前までは、那覇や首里といった都市部を除く地域では芋や雑穀などを主食としていたために、米を用いた料理はあまり発達しなかった。宮廷や料亭では豚飯(トンファン)、菜飯(セーファン)、鶏飯(ケーファン、チーファン)などと呼ばれる汁掛け飯も提供されたが、現在ではほとんど廃れてしまっている。家庭でのご馳走として代表的なジューシー(雑炊)はフーチバー(ニシヨモギ)などの野菜や野草、チンヌク(サトイモ)、ヒジキ、豚肉などを米と一緒に炊き込んだもので、おじや状のものをボロボロジューシーあるいはヤファラ(
出典:wikipedia
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